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2010-12-09 10:17
ほどほどのところで世代交代が起こる仕掛けは、生活の知恵
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
「総論賛成」「各論反対」というのは、別に珍しい話ではない。世代交代というのも、一般論としては当然の話だし、自然の摂理とも言うべきことだから、反対のしようがない。しかし、具体的にこの私のポスト(特にトップになったような時が典型なのだが)について、「いま」それをやりましょう、ということになると、断然物議を醸すケースが多いのは、ご承知の通りだ。これは世襲でも、そうでなくても、大差はない。
もちろんミクロにみれば、創意工夫に満ち満ちた指導者が引退して、凡庸きわまりない後継者が登場したり、この人には死ぬまでやっていてほしい、と思わせるケースもなくはない。だが、それを一体誰が判断するのだ、という辺りから、議論は混乱を来す。出処進退爽やかで、清々しいのもあれば、取締役相談役(これがこのごろでは冗談でなくなっている)が何ダースもいる会社もあったりする。秘書とクルマと個室を手放すのは、よほどの未練のようである。
役員定年制というのもまんざら棄てたものではないというのは、その辺りの事情から生まれた生活の知恵なのだろう。しかし、考えてみれば淋しいことではある。まあ、それでも、定年で辞職が認められたり、隠居が許される職は、それでも悩みは少ないと考えることも出来よう。アメリカの最高裁判事は終身職だが、それでも引退の自由はある。これがなかったと想像したら、その空恐ろしさは、言語に絶するものがあるのではないか。なまじ当人に責任感が強かったりすると、みるに耐えないような状態が起こりかねまい。
ローマ皇帝のように、終身職であっても、虎視眈々と後を狙う者に事欠かなかったり、暗殺もあり、といった血なまぐさい世界ならばまだしも、そんなことは夢にも起こりようもない世界で、しかも後継者が適性の点でおおいに疑わしいという状況証拠が数多くあり、前任者たる者が人格者であればあるほど、救いようのない思いにかられるのではなかろうか。それに比べれば、なんだかんだ言っても、ほどほどのところで世代交代が起こる仕掛けというのは、時に往生際の悪いのがいたり、目を覆いたくなるような後継者がいたりしても、民主主義政体の指導者と同じで、かれこれ考えあわせれば、生活の知恵が生んだ仕組みだと言えなくはないかもしれない。
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