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2010-10-14 07:40
仙石の危なっかしい「三百代言」外交
杉浦 正章
政治評論家
江戸川柳に「仲の町こきまぜるのは柳腰」がある。素性法師(そせいほうし)の「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」をいささか下卑た形で本歌取りしたものだ。その花の吉原には柳腰を象徴して見返り柳が植えられていた。川柳には「もてた奴ばかり見返る柳なり」とある。柳腰(リュウヨウ)とは中国が語源で「しなやかな腰つきの美人のたとえ」(大漢語林)。どうみても官房長官・仙谷由人の「柳腰外交」発言の「言いくるめ」には無理がある。お得意の六法全書的な解釈を情緒表現に当てはめても国際的な物笑いの種になるだけだ。
事の発端は10月12日の予算委員会で、自民党幹事長・石原伸晃に「弱腰」と挑発された仙谷が「弱腰とは思っていない。柳腰というしたたかで強い腰の入れ方もある」と反論したのだ。石原は即座に「柳腰外交とは国益を損ね、検察に押しつける節操のない卑怯なやり方だ」と決めつけたが、発言は13日まで尾を引いた。自民党の鴨下一郎が同委で「柳腰外交という言葉は訂正した方がいい。中国の語源には、柳腰という言葉は、どちらかというと、女性がしなをつくるというような趣旨だ。外交の中で、中国に対するメッセージが、柳腰外交だとすれば、これは日本の名誉のため訂正しておいた方がいい」とたしなめたのだ。もっともである。中国にしなをつくっているのが“仙谷外交”ならば別だが、改めた方がよい。仙谷は意味を取り違えている。使うなら「二枚腰外交」とか、「粘り腰外交」であろう。「柳に雪折れなし」を混同しているのかも知れない。
しかし弁護士は職業柄いったん言いだした言葉を容易に変えない。三百代言の詭弁(きべん)をろうして、恥の上塗りを繰り返している。中国政府はこれを聞いて冷笑しているに違いない。記者会見で「言葉遣いが間違い」と指摘されると、仙谷は「私は女性ほど強いものないと思っている」と見当外れの言い逃れ。事の本質は、言葉の誤用にあるのであり、女性の強弱とは関係ない。論旨のすり替えだ。あらぬ方向にも話を持ってゆき、「1905年のポーツマス条約について、日比谷公園が焼き討ちされた。そのぐらい、大騒動に発展したわけです」と付け加えたが、世論調査でも明白になっている国民の「弱腰外交」批判を、日比谷公園焼き討ち事件にまで結びつけるのは、無理がある。国民感情を逆なでするものだ。産経新聞が「衆院予算委員会が仙谷由人官房長官の『独演会』となりつつある。質問者が菅直人首相に答弁を求めても、割って入り、声を荒らげたり、けむに巻いたり、逆に質問したり…。『陰の首相』との“異名”では不満なのか、政権の『顔』として振る舞う異様な姿に、衆院第1委員室は虚脱感だけが漂った」と名調子で描写している。
筆者も予算委を見ていて、その通りだと思った。とりわけ法律用語を駆使して、「白」を「黒」と言いくるめる傾向があるが、これは政治家の対応としては、3流クラスだ。この「しゃしゃり出る仙谷」は、先の投稿で指摘したように、深刻なあつれきを日本外交に生じさせている。一連の対中交渉の過程で、仙谷は独自ルートの外交を展開し、外務当局は蚊帳の外に置かれた。「外務省は、中国とのパイプが働いていない」と漏らす仙谷は、民間人を通じて前幹事長代理・細野豪志の極秘訪中につなげた。しかし、アレンジした菅と中国首相・温家宝との会談は、政治的妥協が先行して、尖閣の領土問題化をかえって際立たせるという失策であった。首相・菅直人は仙谷の担ぐ御輿に全体重をかけて乗っており、危ない外交が続く。
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