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2010-05-17 22:36
「官から民へ」のスローガンは、言行不一致
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
言行不一致というのは、さして珍しいことではない。というより、むしろこちらの方が普通だと言ってよいのかもしれない。口から出まかせ、お調子者、無責任、はては人をたぶらかそうという詐欺まがいまで、言っていることと、することが違うのにも、いろいろある。こういうのは、しかし、ことさらにあれこれあげつらうほどのことでもない。それこそ世の常、人の常として、こんなものにたぶらかされた自分を責めるしかあるまい。「おれ、おれ」の振り込め詐欺みたいなものだ。
これと少し違うのが、「思いはあるが、力は足りない」という、いわば確信犯みたいな言行不一致である。「明日から禁煙するぞ」も、これに近いが、民主党政権の「コンクリートから人へ」「官から民へ」はその典型だと言ってよいだろう。鳩山さん一人の民主党ならいざしらず、まさかやる気もないのに口当たりが良いから選んだスローガンでもないだろう。復活した道路予算や、あからさまな利益誘導とも言える公共事業の箇所付け。これが本気で脱コンクリートを目指しているとは、流石に気恥ずかしくて、公言できまい。しかしもっと悪いのは「官から民」の方だ。
次官会議を廃止してみたり、国会での官僚答弁を禁止してみたり、はては官僚に「降格人事もあり得る」とすごんでみたり。枝葉末節とは言わないまでも、そんなスタンドプレーには熱心だが、現実に何が起っているかを冷静に観察すれば、官営郵政のトップには大蔵OBを登用。念のために付言しておくが、「天下り廃絶」と言うのは、本人の才能・力量を問うているのではない。税金を官僚のほしいままに濫用させることを戒める道具立てのはずだ。してみたり、目玉商品の「事業仕分け」が、財務省の筋書きで踊っている。何よりも問題なのは、「官から民へ」というのが何を意味するか、その本質が全くお解りになっていない点だ。
「民に出来ることは、民に」というだけでは、足りない。それは税金を使って「官」がやるまでもないことを「民」に任せろ、ということだが、それだけでは十分ではない。絞りにしぼった税金の使い勝手について、その執行過程にいかに「民」の創意工夫を生かすか、「民」の主体的関与を保証する仕組みを作るか、という現実的な知恵の出し具合こそが問われているのだ。税金に関わりのないところで、民の活動をいかに活性化するかとか、民の「協同」の場をいかに確保するかなどというのは、政府が口出しすることではない。大きなお世話であり、お節介だ。まさに民に出来ることに官が口出しするのに等しい。政府が「官」であることは改めて言うまでもないだろう。鳩山首相の唱導に関わるといわれる「新しい公共」とは「人々の支え合いと活気のある社会。それをつくることに向けたさまざまな当事者の自発的な協働の場」だという。これを民間人が民間の知恵として宣言する限り、大変結構なことだ。しかしこれが「官」主導の政策提言の一環だとすれば、その害悪たるや、改めて指摘するまでもないだろう。
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