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2006-04-21 13:44
だから駄目か、それでも諦めないか
松代 明
著述業
4月6日付の「CEACコラム」に掲載された吉田康彦教授の「実現遠い『東アジア共同体』ームード先行の国内世論」について、次の通り私の考えを述べます。
吉田教授は、「東アジア共同体の実現は可能だろうか」と問いかけ、「筆者の答えはNOだ。少なくともあと10年、あるいはそれ以上、実現不可能であろう」と断定している。理由は、日中の同床異夢や日本固有の障害の存在だと指摘する。
しかしこのような種々の困難があるからこそ、それらを少しでも克服することが必要だとも言えまいか。「無理だ」「無駄だ」といって、何もせずに腕を拱いているならば、そこからは何も生まれない。10年後が無理なら15年後、15年後が無理なら20年後を目標にすればよいだけではないか。日中が困難な時期にあるだけに、共同体造りの話し合い自体に意味があると思う。マルチの場の話し合いによってバイの問題の解決が容易になる可能性もあろう。確かに共同体の最終的な目標である人の自由移動の実現は、治安など各種の問題もあり、10年や20年で簡単に実現するとは思えないが、他面日中間をとっても留学生、ビジネスマン、観光客などの人の往来が信じられないスピードで増大していることも事実である。結果として、このような既成事実のほうがわれわれの想像力を超えて進む可能性のあることも指摘しておきたい。真に問題なのは、共同体が難しいかどうかではなく、「だから駄目だ」と言うか、「それでも諦めない」と言うかの姿勢の違いではなかろうか。
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