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2009-09-23 09:51
不可解・時代錯誤な自民党派閥の動き
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
派閥と言われるものが、単に人々のグループを表現したり、仲間のより集まりを意味するのならば、なんの問題もない。それどころか10人、20人、まして100人、200人を擁する人間の集まりに、そんな小集団が結成されなかったら、かえって異常だろう。新生民主党政権だって、かつての自民党政権になぞらえれば、派閥領袖総入閣とでもいうべき内閣であって、八岐大蛇になったり、船頭多くして、のおそれは論理的には十分ある。それを止めているのはただ一つ、この政権の初々しさと「政権を交代させたという歴史的意義の前に、そう言う次元の低い話は当面出てこないし、出ようがない。政策課題と国民の期待に答えねばならぬ」という関係者の責任感だ、というのが真相に近いだろう。
それにひきかえ、歴史的敗北を喫した自民党の派閥の動きは。マスコミの報道で見る限り「不可解」というか、ほとんど「時代錯誤」ではないか、と思われるフシがある。立候補者の顔ぶれではなく、伝えられる立候補の経緯の方だ。各派閥領袖クラスの意見の一致を見ての西村擁立だとか、河野だけは推薦するなという派閥の締め付けだとか、地方票が雪崩を打って河野に集中しないようにするための西村擁立だとか。もちろん、なかには為にする噂もあるだろう。しかし公党の総裁選に立候補した候補者自身の口から出た旧態依然というか、ほとんど化石のような派閥領袖の立ち居振る舞いというのは、この党を確実に死滅に追いやるものだと思う。そうなったら、つまり民主党に対抗する健全野党としての自民党が、化石どものいいなりになって死滅してしまったら、一番困るのは国民だ。「権力は絶対的に腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という金言を、今度は民主党が実例を示すようになったら、いったいわれわれは何を学習したというのだろう。
「自分の業績を歴史が判断するのには、しばらくかかるだろう」と名(迷?)台詞を残して退場した麻生氏だが、かれが今回総選挙の惨敗をしっかり総括できるほどの政治家ならば、おそらくは河野太郎支持を明確にする以外、歴史が彼を評価することは金輪際ない、と思われる。そうすることによって、心ならずも、あるいは保守再生の為に自民党を去っていった、「みんなの党」の渡辺のような人々と、再度スクラムを組んで、「再生」自民党をアピールすることもできようというものだ。
今回選挙の結果を受けて、国民の政治意識は疑いもなく覚醒した。これを一過性のものにするか、「政治はだれのものでもなく、われわれのものである」という認識を定着させるかは、これから数年の政党の動きにかかっている。選挙当日に選挙民が自宅で寝ていてくれると良い、と公言してはばからなかったような首相を、われわれは再び持ちたくないし、持ってはならない。
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