政策本会議
第101回政策本会議
「インドネシア、タイ、マレーシアのOECD/BRICS加盟問題
-外交の伝統、対中関係、国内政治の視点から」
メモ
2025年2月5日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局
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第101回政策本会議は、平川幸子早稲田大学社会科学総合学術院客員教授を報告者に迎え、「インドネシア、タイ、マレーシアのOECD/BRICS加盟問題-外交の伝統、対中関係、国内政治の視点から」と題して、下記1.~6.の要領で開催された。
- 日 時:2025年2月5日(水)16時より17時30分まで
- 開催方法:日本国際フォーラム会議にて対面およびZOOMウェビナーによる併用
- テーマ:「インドネシア、タイ、マレーシアのOECD/BRICS加盟問題
-外交の伝統、対中関係、国内政治の視点から」 - 報告者:平川幸子早稲田大学社会科学総合学術院客員教授
- 出席者:65名
- 審議概要
平川幸子客員教授から、次のとおり基調報告があった。
(1)はじめに
インドネシア、タイ、マレーシアのOECDおよびBRICS加盟について分析するには、次のような注意が必要である。まず、もともと経済的枠組みであったOECDおよびBRICSが、現在は米中対立のなかで政治化されており、経済的合理性を超えた政治的な分析、またリベラルな制度論でなくリアリズムによる分析が必要であるということ。次に、東南アジア諸国であるインドネシア、タイ、マレーシアには、建国以来の変わりにくい外交の伝統があること、そして2010年代以降の中国による東南アジア諸国への急接近を考慮に入れなければならないこと、さらにほかのアジア諸国にもいえることであるが、それぞれの国内政治状況には属人的な要素、パーソナルな人間関係が影響しているということである。
(2)日本によるASEANのOECD加盟後押し
OECDとASEANはもともと疎遠で対立的な関係にあり、リー・クアンユーやマハティールといった「アジア的価値観」を打ち出すリーダーが全盛期だった際には、OECDは西欧的価値観を押しつける組織として警戒されていた。こうしたなかで、ASEAN各国でリーダーの世代交代が起こる2000年代以降、OECD側からASEANへの戦略的関与が開始されるようになった。その背景には、新興国経済の台頭によりOECD経済が相対的に低下するなかで、OECDのスタンダードを広めていくために非加盟国へのアウトリーチが重要となり、特に成長センターをアジア地域へ広げることが重要となったことがある。そしてその後押しをしたのが日本である。日本は、日本の国益にも適うことでもあったため、「対ASEAN外交5原則」に合わせASEAN諸国をOECD経済にふさわしい国にしようと後押をした。加盟50周年の2014年にOECD議長国となった際には、安倍政権のイニシアチブで「東南アジアプログラム(SEARP)」を立ち上げ、交流や対話を通してOECDスタンダードやルールがASEAN諸国に根付くように支援を行った。それによって、中国の「一帯一路」を牽制し、ASEAN諸国が「中国モデル」の発展方式を取ることを阻止しようとしたのである。この立ち上げ式典には、ミャンマー、ラオス、カンボジア、フィリピン、インドネシア、タイから閣僚が参加した。それ以降、2018年にタイが初めてOECDカントリー・プログラムの対象となり、2021年にOECDとベトナムが覚書を締結、2022年にOECDとASEANで覚書(2025年ブループリント実現支援)を締結するなどしている。ただしこの年代の日本のOECDへの後押しは、あくまでも経済社会領域のこととして実施していたように見受けられる。
(3)米国による「民主主義陣営」化と加盟要件
この流れを変化させたのが、2020年代に入ってからの米国バイデン政権である。バイデン政権は、「民主主義陣営VS専制主義陣営」と二分化する世界観を持ち、それをOECDにも適応しようとした。2021年に米国がOECD議長国となった際には、閣僚理事会で「共通の価値」に関する声明を採択し、OECDを「市場主義経済、自由で開かれた公正かつルールに即した多国間貿易制度、透明性と説明責任を有する政府、法の支配、ジェンダー平等、人権保護、環境持続性の推進にコミットする38の民主主義国同士によるコミュニティ」と定義した。このような定義は、OECDの設立条約にはなかったものである。現在、OECDの加盟評価では構造改革、開放的貿易投資体制、社会機会均等政策、公共ガバナンス、腐敗防止、環境保護の観点を重視し、審査プロセスは通常5~10年を要するといわれる。最終的な判断は全会一致を原則とし密室での政治決定がしにくいシステムになっている。こうしたなかで日本は、OECD加盟60周年イニシアチブとして、2023年に「インド太平洋のOECD戦略的フレームワーク(OECD Strategic Framework for Indo-Pacific)」を決定し、翌24年から実施している。このフレームワークでは、キーパートナー国として中国、インド、インドネシアを設定している。日本はOECDとFOIPを同一視しているが、そこに中国を排除しないという点が特徴的であろう。
(4)BRICSの拡大と中国化(歴史的経緯)
BRICSは2001年のゴールドマンサックスの分析報告書に由来し、当初はブラジル、ロシア、中国、インドによる総称であった。その後、2006年の国連総会時に初の会合を開催し、2009年に、ロシアに参加する国々の代表団が集まり「BRICsグループ」が結成された。2011年に南アフリカ共和国が参加して現在の名称であるBRICSとなり、多極秩序、国際組織の改革などを共通目標とする「三亜宣言」が打ち出された。2011年のG20会合時に初の首脳会議が開かれ、以降定例化し、加盟国間で経済外交の歩調を合せようとしてきたようにみうけられる。実際2013年には、所謂「BRICS開発銀行」といわれる「新開発銀行(NDB)」の発足が合意された。この時期は、中国の習近平国家主席が活発な経済外交を展開し始めた時と重なり、中国はこの頃からBRICSのイニチアチブを取るようになった。ただし、本当に中国がBRICSを活用し始めたのは2017年からとみることができる。2017年に中国・厦門で開かれたBRICS首脳会議において、習近平政権の中国は圧倒的な経済力のもと、エジプト、メキシコ、タイ、タジキスタン、ギニアという非加盟国を招待し、安全保障問題上級代表者会議に加えて公式外相会議を定例化し、BRICSをグローバルな政治・安全保障枠組みに押し上げようとしたようだ。翌2018年のヨハネスブルグでのBRICS首脳会議において、習近平国家主席は演説で、「BRICSプラス協力」の概念が確立され、「BRICS友人の輪」を広げて新興市場国と発展途上国の共通利益を達成していく、そして「戦略的パートナーシップ」として経済だけでなく政治・安全保障協力を進めることが重要だと強調した。
(5) BRICSの拡大と中国化(「グローバル・ガバナンス改革」のプラットフォームとして)
そしてこの頃から中国は、「グローバル・ガバナンス改革」のプラットフォームとしてBRICSを「中国化」していった。BRICS会合のアウトリーチ国の選択基準は明らかではないが、習近平政権が呼びかけている「グローバル発展イニシアチブ(GDI)」とほぼ重なると考えられる。2023年の8月の BRICS拡大会合では、アルゼンチン(後に撤回)、エジプト、エチオピア、イラン、UAEを新加盟国として発表し、政治・安全保障、金融・経済、文化・人的の「三つの協力の柱」を打ち出した。また首脳声明で脱ドル依存の可能性検討を表明するなど、国際社会がロシアへの制裁を強めるなかでロシアを救済するような姿勢を打ち出し、反欧米的色彩を強める姿勢を鮮明にした。2024年のBRICS会議には35カ国が参加しているが、これはOECDの37カ国という数に寄せているようにもみられる。
ただBRICSには常設の事務局もなく、加盟審査の要件やプロセスも策定されておらず、決定は政治的判断によるものとみられる。2024年に、BRICSのパートナー候補国として13カ国が挙げられ、そのうちこの1月にベラルーシ、キューバ、ボリビア、マレーシア、ウズベキスタン、カザフスタン、タイ、ナイジェリア、ウガンダの9カ国がパートナー国として正式に認定された。こうした拡大により、今後加盟国間が一致できる共通利益を見つけることが却って困難になる場合も起こりえるだろう。
「グローバル・ガバナンス改革」としてのBRICSの主な取り組みは、新たな金融システムの構築であるといえる。ドル依存を減らすための共通決済システム構築を目的に、BRICSペイプロジェクトをはじめ、昨年はBRICS決済システムを加盟国内決済システムと統合する検討をしはじめた。また昨年はロシアがSWIFTシステムの代替としてBRICSブリッジを提案した。これは、加盟国間で利用可能なデジタル決済プラットフォーム、中央銀行デジタル通貨(CBDC)や非現金資金、デジタル金融資産の使用を目指すものであるが、中国は対米ドル依存の低下と人民元の国際化の推進を想定して好意的にとらえている。さらにBRICS内で合意が得られていないが、昨年ロシアはデジタル共通通貨構想(BRICS単一通貨)まで提起した。なお中国は、「中国・BRICS新時代科学技術イノベーション・インキュベーション・パーク」、「BRICSグローバル衛星リモートセンシングデータ・応用協力プラットフォーム」、「BRICS持続可能な産業交流・協力メカニズム」の設立構築、人工知能(AI)に関する多くの国が参加可能な国際的メカニズムの構築、ガバナンスの枠組みと標準の形成の推進、などをBRICSで提案している。
2023年のBRICS首脳会議の際の公式ホームページに、BRICSの歴史が掲載されているページがあったが、そこには1955年のバンドン会議がBRICSの起源とされていた。このことは、中国などにとって、2023年の時点ですでにインドネシアがBRICSに加盟することを確信していたようにも見受けられる。中国、インド、そしてインドネシアが揃ったBRICSならば歴史的にも文句のつけどころのないグローバルサウスを代表するグループに見えるのであり、それを国際社会に強くアピールするつもりだったのであろう。
(6)インドネシアの事例
インドネシアには、建国以来の「自由で積極的な(bebas Aktif)」外交の伝統、国際舞台において自由に意見を主張していくという外交哲学が念頭にあるように見受けられる。OECDは1995年の報告書で、ブラジル、ロシア、インド、中国と並んでインドネシアを「関係を強化すべき次期経済大国」と定めたが、1997年のアジア通貨危機、開発独裁をしいていたスハルト大統領の失脚後の政治的混乱により、経済が長期低迷する。その後の民主化移行期を経て、2008年からのリーマンショックの際にインドネシアは、内需中心の経済体制のため大きな被害を受けず、再びOECDから注目を浴びるようになる。前述のSEARPにおいて、インドネシアは2014年から2017年にかけて日本と共同議長を務めた。
他方で中国も、インドネシアを非常に重視した外交を展開する。2013年にインドネシアを訪問した習近平国家主席は、インドネシアとの間で「包括的戦略的パートナーシップ」を結び、さらに同国の国会で「21世紀海上シルクロード」やAIIB設立を発表したのである。その後も、ジョコ大統領が提唱するグローバル海洋国家構想と一帯一路を連動させるような取り組みを強めていく。そして2021年には両国の間でハイレベル協力メカニズムを設置し、「政治・経済・人文・海上協力」の「四輪駆動」(但し、2024年に安全保障協力を加えた「5つの柱」に格上げされている)の協力を進めていった。なおこの際に、インドネシア側の窓口として、ルトノ外相とともにルフット海洋・投資調整大臣がその役割を担ったが、実際にはルフット大臣が中国とのビジネス案件をすべて差配していたようである。
中国はさらに、GDIとBRICSをインドネシアに猛プッシュし、2023年には中国にとっては初の「2+2」の設置をインドネシアに提案している。こうしたなか、インドネシアのジョコ大統領は、2023年にBRICS会合に参加するもBRICS加盟は「時期尚早」として見送り、2024年5月に正式にOECD加盟協議を開始する。この背景には、BRICS内部の連帯性への不安、ロシアと並ぶことへの負担、特定の政治ブロックに同調しているとみなされる危険性、などがあるのではないかとみられる。また米国への配慮、2007年から続くOECDとの信頼関係、さらにバンドン会議から続く非同盟運動の盟主との自覚も影響したのではないか。このようにBRICSよりもOECDを優先していたようにみられたインドネシアであったが、プラボウォ大統領へと変わり、2025年になってBRICSへの加盟を果たしたのである。ただし、引き続きOECD加盟にも積極的であり、本来2029年頃になるとみられる加盟時期を2027年に前倒しを目指す姿勢をみせている。
(7)タイの事例
タイは、「竹の外交」の伝統のもと、どのような域外大国ともバランスをとって付き合いながら自国の国家利益の実現を追求している。ただ現在のタイの姿勢には、アジア通貨危機の頃からの歴史、また中国からの接近が強く影響を及ぼしているように見受けられる。タイでは、バーツ危機から始まったアジア通貨危機の際のワシントン・コンセンサスによる米国やIMFの対応に対して、根強い反感が残っている。2001年からのタクシン政権で経済は回復した、客家であるタクシン首相は、中国との経済関係を最大限に利用し政治的にも関係が深まった。その後、クーデターで軍事政権が誕生すると、同盟国の米国は共同軍事演習をキャンセルするなどの措置をとった。その間、中国は軍同士も含めて急速にタイに接近しようだ。さらに2015年に構築されたマルチの枠組みであるランチャン・メコン開発協力の会議の場を利用して、タイとの間で二国間首脳会議、外相会議を頻繁に行うなどして意思疎通を深めていった。2019年の選挙によりプラユット政権が継続すると、李克強がすぐにタイに赴き、戦略・防衛・安全保障協議メカニズムを構築し関係強化に努めた。2023年の選挙後には親軍派との連立でタクシン派政党のセター政権が誕生し、今にいたっているが、現在のタイは、中国、ロシアに堂々と接近している。長く敵対してきたタクシン元首相も軍も、米国よりも中国寄りという点では同じである。今後、親中路線が定着してしまわないか注意が必要だ。
ただしタイは、米国と中国・ロシア、OECDとBRICSを両天秤にかけながら外交を展開している。例えば2017年以降、BRICSのアウトリーチ会合に参加しているが、2018年からOECDカントリー・プログラムの対象国となり、OECDへの将来的な加盟は規定路線でもあった。しかし、2024年6月にOECDの加盟審査手続き開始の正式発表を行う1週間前に、突然BRICSへの加盟意思を発表した。その背景には、極度の経済不振から中国・ロシアからの直接の経済効果を期待した向きもあろう。2023年にはプーケットにロシアの総領事館を開設し観光客誘致を図っている。また復権したタクシン元首相は、プーチン大統領と個人的な関係が近いことで知られており、何らかの指示をした可能性もある。いずれもしてもタイは、米国との共同軍事演習「コブラゴールド」には中国の人民解放軍を一部参加させるなどしており、そのような両天秤の外交センスをもっていることを認識しておくべきであろう。
(8)マレーシアの事例
マレーシアは、もともと西側陣営の立ち位置で独立をしてはいるものの、非同盟中立、反欧米アジア主義、イスラム諸国との協力重視、を外交の伝統としてきた。特にマハティール首相は筋金入りの反欧米主義で、米国抜きの多国間主義を好み、アジア通貨危機の際は通貨危機の元凶として欧米の投資家を批判し、IMFの救済を拒否して独自の政策でマレーシア経済をV字回復させた。そして欧米寄りだった当時のアンワル副首相を解任し、さらには後に同性愛罪で拘束逮捕までさせている。そのような姿勢から、もともと中国との親和性は高かったといえるであろう。その後マレーシアは、ラザク政権時に急速に対中傾斜していき、政治腐敗や汚職も進み、国内政治も独裁化傾向になる。こうしなかで、2018年に再びマハティールが政権についた際は対中関係の一定の見直しをするが、マハティールの辞職後は再び短命政権が続き、2022年に野党連合の大連立によりアンワル政権が誕生し、今に至っている。釈放後に英米の大学で客員教員も務めたアンワル首相は、欧米的な価値を理解すると人物と見られていたが、実際に政権がはじまってみると、アンワル首相は中国と共に「アジア通貨基金」構想(脱ドル依存)の旗振り役になるなど、マハティール路線にむしろ近い印象だ。さらにアンワル首相は、2024年6月に、中国の李強首相の訪馬時にBRICSへの加盟意思を表明、翌7月のロシアのラブロフ外相の訪馬時に、正式に加盟申請を伝達した。こうしたマレーシアのBRICS一辺倒の動きの背景として、そもそもOECDとの接点が希薄であり選択肢にならなかったこと、国内政治基盤が脆弱で連立政権の求心力強化のために経済政策を優先していることなどの国内事情があるだろう。このような状況のマレーシアにとって、中国は自然なパートナーということになる。また、マレーシアは、2023年以降の中東情勢から、反米スタンスを保つ必要があり、国民感情もASEANの世論調査で著名なシンガポールのISEASユソフ・イシャク研究所の調査によると、約7割が米国より中国を選好している。歴史的な経緯もありOECDのマレーシアに対する直接的な働きかけが弱かったことは事実だが、一方マレーシアはCPTTP加盟国であり、実質的にOECDスタンダードやルールを果たす義務がある点は望みである。
(9)終わりに
インドネシア、タイ、マレーシアのOECDおよびBRICSへのかかわりについて、三国の共通点としては、中国とは経済開発分野で協力していたつもりが次第に政治・戦略・安全保障領域に格上げされて「運命共同体」関係になってしまっているということである。相違点としては、インドネシアは、「自由で積極的な」外交が土壇場で中国からの独立性を選択させているがバランス調整中であり、タイは、「竹の外交」でOECDとBRICSに両天秤の姿勢を保っており、マレーシアは、伝統的な「欧米への懐疑」が中国と親和性を高め、「イスラム諸国重視」方針が反米をさらに加速させている、というところである。今後日本としては、このような各国の事情の違いを理解し丁寧に個別配慮しながら、長期的なインド太平洋全体の安定的秩序を構想することが重要であろう。
以上
文責:事務局