政策本会議
第94回政策本会議
「米中対立のなかでのASEANとフィリピン」メモ
2022年11月30日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局
第94回政策本会議は、木場紗綾神戸市外国語大学准教授を報告者に迎え、 「米中対立のなかでのASEANとフィリピン」と題して、下記1.~5.の要領で開催された。
- 1.日 時:2022年11月30日(水)14時より15時30分まで
- 2.開催方法:オンライン形式(ZOOMウェビナー)
- 3.テーマ:「米中対立のなかでのASEANとフィリピン」
- 4.報告者:木場 紗綾 神戸市外国語大学准教授
- 5.出席者:37名
- 6.審議概要
木場紗綾神戸市外国語大学准教授から、次のとおり基調報告があった。
(1)フィリピン新大統領の支持基盤
本年5月の大統領選挙によって、フィリピンでは、フェルデナンド・“ボンボン”・マルコス・Jr.(以下マルコス)が勝利し、新大統領に就任した。投票率 82%の中で、マルコスは得票数 3,160 万票、得票率 58.77%を獲得したが、これは、開発独裁体制を敷いた父親のフェルデナンド・マルコス大統領が86年に追放され、フィリピンが民主化して以降の選挙で、過去最多の記録であり、初の過半数獲得大統領の誕生といえる。因みに、大統領選を争った2位の前副大統領のロブレドは28.0%の得票率だった。歴代の大統領の得票率をみても、1992年ラモス23.6%、1998年エストラダ39.9%、2004年アロヨ39.9%、2010年ノイノイ・アキノ42.1%、そして高い人気を得ていたようにみられる2016年のドゥテルテでも38.6%であり、今回のマルコス大統領がいかに強く支持されていたかがわかる。
では、なぜマルコスはこれほどの票を得ることができたのか。それは、ドゥテルテ前大統領の娘であるサラ・ドゥテルテの効果である。今回サラ・ドゥテルテは、マルコス以上の61.3%の得票率を得て副大統領選に勝利した。マルコスは、今回の大統領選で2位だったロブレドと2016年の副大統領選でも争い、その時は敗れている。今回とその2016年の選挙結果とを比べてみると、マルコスは前回ロブレドに敗れているフィリピン南部(特にミンダナオ全土)での支持率を圧倒的に伸ばしている。もともとマルコスの支持基盤は北部地域で、逆にドゥテルテ前大統領の支持基盤は南部である。今回サラ・ドゥテルテとマルコスがタッグを組んで大統領選、副大統領選に出たことで、ドゥテルテの地盤であった南部の支持がマルコスに集まったということであろう。他に、マルコスは、これまでの選挙と異なり学歴による支持層の違いがなく、さらに18から64歳までのほぼすべての年齢層から過半数の支持を受けていた。父マルコスの独裁政権時代を知っている世代からも支持を受けたのである。
(2)2022年大統領選挙の争点は、「ドゥテルテ前政権への評価」
では、なぜこれほど支持を受けたのか。今回の選挙の争点は何であったのか。結論から述べると、争点はなかったのである。フィリピンに限らず、多くの国の選挙で争点となるのは社会的亀裂を如何に解消するかである。社会的亀裂とは、①民族、宗教・宗派、階級・階層などによる「社会的要因」、②イデオロギーなどの価値観および投票や組織活動など政治行動による「政治的要因」、③労働組合、教会、政党などによる「組織的閉鎖性」からなる。フィリピンでは、大衆レベルではミンダナオのムスリムかどうかや、貧困層のなかのさらなる格差など①に、エリート層ではフィリピンが「共産党最後のフロンティア」と呼ばれるほど左派のイデオロギーが強いことなどから②や③に起因した要因が争点となる傾向が強かった。そして、それらを争点に、政治家や政治的ブロック、NGO、教会などによって、地域レベルで大衆を動員し選挙が行われることが一般的であった。しかし、SNSの普及によってその選挙の実態が変わった。前回の2016年の大統領選挙で、ドゥテルテが従来の地盤ベースの大衆動員のみに拠らず、SNS によって大衆に直接アプローチする形の選挙キャンペーンを行い、勝利したのである。
フィリピンでは、政党がほとんど重要な役割を果たしていない。選挙の際に、知名度の高い候補者個人に相乗りする形でアドホックに政党が形成されている。また選挙後には、下院議員らが一斉に大統領の政党に鞍替えを行う「バンドワゴン政治」が成り立っている。しかも大統領の任期は 6年1期のみであり、政党が弱いため、選挙において政策の継承が争点になることはない。そのためこれまでの大統領選挙では、大衆をどう取り込むのかが重要となり、貧者に対して所得をいかにして再配分するかが争点となってきた。しかし、前回の選挙でドゥテルテは、治安の改善と麻薬の撲滅というシングル・イシューを訴えて当選し、しかも歴代の大統領が任期の後半で支持率を落としてレームダック化してきたのに対して、最後まで8割近くの支持率を得て職を全うした。
このような背景から、今回の選挙でマルコスは、このドゥテルテ、また娘のドゥテルテ・サラへの人気を最大限に利用するために、公約や政策に関する積極的な発言をという行動をとった。実際のところ、ドゥテルテが最後まで国民の8割の支持を受けていた以上、マルコスはそれを継承するしかないわけであり、そのため公開討論会をボイコットし、対立を避け、対立候補の悪口を言わず、「団結(unity)」をスローガンに選挙を戦ったのである。マルコス陣営も選挙でSNSを駆使したが、ドゥテルテのようにシングル・イシューすら打ち出さなかった。今回の選挙の争点は何かといえば、何もなく、あったとするならばそれはドゥテルテ政権への評価である。
つまりマルコスは、次のような特徴をもった大統領いうことになる。①自分の言葉で確固たる政策を語って勝利したわけではないのにも関わらず、初の「過半数大統領」となった。②ドゥテルテ父子に恩義がある。③ 世論に敏感にならざるを得ず、ドゥテルテ家やマルコス一族などに配慮せざるを得ない。④ ドゥテルテの政策を継承することを期待されているものの、ドゥテルテのようになれるわけでなく、そもそも公約がなかったため、「取り巻きに配慮しつつ、世論を見極めつつ、前政権とは異なる自分らしさを出す」ことが必要である。このためマルコスは、国内において、すべての政策でパフォーマンス以前に、”performative”、何かを実行している感を出すことが重要であり、求められているともいえる。これは、強く要求されることに弱く、きわめて取引主義的(transactional)になる危うさがある。
(3)マルコス政権の外交
では、このような背景にあるマルコス政権は、今後どのような外交を展開していくのか。まずフィリピン国内の状況について述べていく。フィリピンは、米国の選挙制度などをほぼそのまま自国に導入し、1960年代に「米国の民主主義のショーウィンドウ」とまで呼ばれた。この表現はいまだに当てはまり、2010年に投票電子化を取り入れて以降は、選挙制度・選挙管理行政への信頼が高く、敗者が負けを認めることが確立している。選挙の無効や違法を訴えるなどして国内が混乱している国があることと比べると、フィリピンの民主主義は非常に安定しているといえよう。フィリピンを「中国寄り」とみる向きもあるが、フィリピン国内では権威主義体制を羨む声はほとんどなく、人口の 10%を占める海外在住フィリピン人の待遇への同情も相まって、「自由」や「人権」への意識は高い。フィリピンのエリート層・中間層は、中国が台頭する以前から、米国に信頼を寄せつつも「米国一辺倒になりたくはない」とのコンプレックス的な感情を持ち、87年制定の現行憲法には “Independent Foreign Policies”との規定がある。また、一部エリートらは「ASEAN 中心主義」もたびたび主張している。ただし、特に“Independent Foreign Policies”が何を指すのか、これらの定義・共通解釈は、フィリピン外務省内でも定まっていない。フィリピンの実態としては、外交・安保面でも文化面でも「米国べったり」である。しかし2010年以降、フィリピンのエリートらは、米国へのコンプレックスや、中国擁護論ではないが米国は本当に頼りになるのかといった米国懐疑論などに配慮し、国内、国外含めて、状況や相手によって発言や演じ方を使い分けるようになっている。フィリピンの大衆レベルでは、2012年前後より、スカボロー礁沖での対立が深まる中で、中国脅威認識が年々高まっているところである。以上のような国内の状況とともに、マルコス大統領は、①米国に認められることによる「マルコス家」の国際的地位の回復、②国内の対中世論への配慮、③ミャンマー、ウクライナの状況から、ASEAN内部でも慎重に発言せざるを得ない安全保障環境、のトリプルバインドにさらされているといえるだろう。こうした厳しい状況に対応するため、マルコス政権は、外務大臣にキャリア外交官、国防大臣に元国軍司令官を配置し、テクノクラートを重視した布陣を引いている。
こうしたなかで、政権発足から6か月間のマルコス大統領の行動はどうだったのか。まず、7月25日の大統領施政方針演説では、「フィリピンの領有権は、外国の圧力によって寸分たりとも譲るつもりはない」と発言する一方で、「フィリピンは、これからもすべての人の友であり、誰の敵でもない」と述べ、前任のドゥテルテ大統領との違いを際立たせた。さらに9月にインドネシアとシンガポールに国賓訪問、ニューヨークの国連総会に出席、ASEAN首脳会議でカンボジア、APEC首脳会議でタイを訪問と、6か月間で6か国の訪問をしている。8月には米国との間で「防衛協力強化協定(EDCA)」における米国の施設利用拠点の拡大に合意しており、拡大対象にはおそらくパラワン島や、台湾に近いルソン島北部の基地が含まれるのだろう。中国と米国に対しては、1月に中国を国賓訪問、2023年のうちに米国にも国賓訪問を行い、両国との関係を今後も維持していくものとみられる。
ただ、台湾をめぐって、米国から「応分の負担」を求められはじめており、これに対してフィリピンでは「巻き込まれ不安」が起こっている。フィリピンでは、今も共産主義者やイスラーム過激派との戦闘により、3日に1名の割合で国軍に殉職者がでており、こうしたなかで他国の為に犠牲を払おうという意識は少ない。かつてイラク戦争の際も、現地でフィリピン人文民が誘拐された事件を受けて、当時のアロヨ政権はフィリピン軍のイラクからの全面撤退を指示した。フィリピンでは、他国へ出稼労働に行っている者が多く、その人たちの安全に対しての意識が強く、台湾有事に巻き込まれることに国民の世論が付いてくることは考えられない状況である。
(4)ASEANの中でのフィリピン
フィリピンの米中関係に対する基本的な姿勢は、他のASEAN各国と一致していて、米中どちらかのサイドにつくのを避けたいと考えている。防衛装備品、インフラ支援などの調達先を日和見主義的に選ぶのは、天秤外交でもなければ、ヘッジングしているからでもなく、情報の非対称性を克服し、経験値を上げ、契約スキルをアップさせたいからとしている。フィリピンが求めているのは「質の高いインフラ」ではなく、「いろいろな選択肢がある中で賢く選択する能力」である。これはフィリピンに限らず、タイやインドネシアも同じ要望をもっているものとみられ、日本がこれに寄り添えることができれば、有難いのであろう。フィリピン人と議論すると、インド太平洋経済枠組み(IPEF)について、質の高いスタンダードを定めたところで、結局は自分たちの国は利益を得られないと判断している。むしろ、フィリピン人らが要望するのは、「質の高いインフラ」より「質の高い(低位の)ルールメイキング」ではないだろうか。日本は、ASEAN に場を借りて、OECD-DAC 未加盟国(中国、インドなど)と共に、東南アジアで開発協力を進めるうえで、たとえばJICA の『環境社会配慮ガイドライン』と『異議申立手続要綱』のような人権、環境配慮、住民移転、労働環境、モニタリングなどに関する低レベルの規範やチェックリストを定められないか、シンガポール、フィリピン、タイ、インドネシアといった国々に、こうした「場」をホストしてもらい、ASEAN プラス 3(日中韓)を招いてもらう形で「すべての国にとって良い投資環境とその条件」について協議できないか。そしてそれをまずは、トラック2の場で議論できないかといった話を、フィリピンの研究者らとは議論している。
フィリピンは、お手本となる民主主義国家ではないが、フィリピン社会の持つ「民主主義を支えるポテンシャルとなる要素」は、日本の若い世代の人的交流先として、十分な魅力を持つ。フィリピンが持つ寄付文化、自発的結社(アソシエーション)への加盟率の高さとソーシャルキャピタル(制度や他人に対する信頼)、民主化の成功体験(わずか 26 年前)、高い政治的有効性感覚、社会的亀裂の克服などの「民主主義を支えるポテンシャ ルとなる要素」を私たちは再評価すべきであり、日本とフィリピン間の民主主義を発展させるための交流を進めるべきである。
以上
文責:事務局