政策本会議
第87回政策本会議
「ミャンマーはどこへいく-クーデター、抵抗、弾圧」メモ
2021年4月12日
東アジア共同体評議会(CEAC)事務局
第87回政策本会議は、中西嘉宏・京都大学准教授を報告者に迎え、「ミャンマーはどこへいく-クーデター、抵抗、弾圧」と題して、下記1.~5.の要領で開催された。
- 1.日 時:2021年4月12日(月)14時より15時30分まで
- 2.開催方法:オンライン形式(Zoomウェビナー)
- 3.テーマ:「ミャンマーはどこへいく-クーデター、抵抗、弾圧」
- 4.報告者:中西 嘉宏 京都大学准教授
- 5.出席者:58名
- 6.審議概要
中西嘉宏・京都大学准教授から、次のとおり基調報告があった。
(1)クーデターの経緯
去る2021年2月1日未明に起こった国軍によるクーデターは、国軍が実質的な最高指導者であるアウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領ら政府幹部、政権与党である国民主連盟(NLD)幹部を拘束した。その後、2名いる副大統領のうち軍出身の副大統領が大統領代行に就任して「国防治安評議会」(軍と政府トップによる会議体)を招集し、国軍最高司令官ミンアウンフライ将軍による説明後、大統領代行が憲法417条による非常事態宣言を発令して、国家の全権を国軍最高司令官に移譲されることで進められた。非常事態宣言を発令する理由として挙げられたのは、もともと議席の四分の一が国軍代表者に振り分けられているにも関わらず、圧倒的な大勝によりNLDが単独過半数の議席を得た2020年11月の選挙が不正選挙であり、その選挙で選ばれた議員の招集が行われたという理由である。クーデターの前、1月28日から政府と国軍の間で複数回の交渉が行われ、軍からは①選挙管理委員会委員の入れ替え、②選挙不正の調査、③議会招集の延期、の3点について要求されたといわれているが、それを政権側が拒絶して1月31日に議会招集のアナウンスを行ったことで、国軍は周到な準備をおこなってクーデターを遂行したとみられる。実際、1発の銃弾が撃たれることもなく同時多発的に政権幹部が拘束され、さらにその前に通信施設なども掌握されるなど、教科書どおりのクーデター遂行であった。なお国軍はクーデターではなく、憲法に従った非常事態宣言であると主張している。
(2)クーデターはなぜ起きたのか
内実は後になってからでなければ判明しないが、国軍はなぜクーデターを起こしたのか。よく言われている主なクーデターの理由として、①選挙不正疑惑、②内政・経済の混乱、③国軍の利権(の侵害)、④中国の存在(中国による支援)、といった要因が指摘されているが、これは妥当なのか。まず①不正選挙について、国軍は先の選挙で1千万件以上の不正、投票数の四分の一以上で不正があったと主張している。確かに有権者名簿の不備などがあったことは間違いないようであるが、ただこれは以前から課題とされてきたことである。こうした不備はあっても、事前の世論調査でミャンマーの市民が候補者の選定で最も重視する「倫理的(good ethics)」であることを体現しているスーチー氏の人気は高く、NLDの勝利は確実であった。また今回の選挙では二重投票防止策、投票所の監視、国際選挙監視なども行われており、選挙結果の大勢を揺るがすような不正があったとはいえない。②内政・経済の混乱については、スーチー派と反スーチー派の対立が社会的に高まっていたことはなく、経済においても、クーデター前のADBの予測で、コロナ禍が明けたあとのミャンマーの経済成長率は6%と予想されており、経済危機の不安もなかった。③国軍の利権については、そもそも国軍は憲法により独立性が保証された存在で、その憲法改正に対して拒否権ももっている。経済的にも国軍系企業が特に損失を受けてはおらず、また国軍の予算も、スーチー政権になってから過度に縮小されたわけではない。④中国の存在については、そもそも国軍は中国に対して警戒感を持っており、市民にも強い反中感情がある。また中国側にとってもミャンマーの政情不安による不確実性は望ましいことではない。このように、これまで挙げた4つの要因は、国軍がクーデターを起こした理由としては必ずしも当てはまらないといえよう。
では何が要因だったのか、現時点ではスーチー氏側とミンアフライ将軍との間の「国体」をめぐる権力闘争が背景にあるとみられる。現在ミャンマーは、憲法によって「規律と繁栄ある民主主義」を標榜しているが、その中心にあるのが国軍である。国軍は、憲法によって国家を統治する一部として、国家よりも超然とした存在として認められている。それに対抗していたのがスーチー氏であった。憲法の規定で子供が英国籍のために大統領になれないスーチー氏は、立法措置により国家顧問に就任して事実上の大統領となり、国防治安評議会の不開催、憲法改正法案の提出など、憲法が規定する国軍中心の秩序を変更しようとしていた。また国軍側からは、スーチー氏側のイデオロギー重視の姿勢、少数民族との関係悪化、武装勢力との和平の停滞、ロヒンギャ問題での弱腰姿勢、選挙管理委員会がスーチー氏に近い人物であること、コロナ対策が遅れていること、などに不信感を高めていた。そのような状況に加え、ミンアフライ将軍は大統領就任の野心をもっていたようであり、先の選挙で国軍寄りの政党であるUSDPが善戦する模様との誤った認識があり、USDPが国軍代表の議席と合わせて過半数を取れるのではないかと期待していたようである。しかし、選挙は大敗し、かつ選挙の不正疑惑が高まったことで、これまでの権力闘争も踏まえて今回のクーデターに繋がったのではないかだろうか。
(3)市民の抵抗
今回のクーデターによって国軍は何をしようとしているのか。一つには、スーチー派の一掃とNLDを解党することである。クーデター以降、スーチー氏やNLDの幹部に対して訴追・公判手続きを行い、選挙管理員会の入れ替えと選挙不正の調査を行い、閣僚だけでなく村長にいたるまでNLLD側の人間の入れ替えを行っている。また中央に、国軍幹部6名を中心とする「国家行政評議会(SAC)」を設置し、各自治体に軍将校中心に各省出先機関の職員を配置した機関を設置している。他に、経済開発、少数民族武装勢力との和平の推進、新型コロナ対策を進め、民政以降後の最初の政権であったテインセイン政権期の実務経験者を再び登用して実務体制を固め、あと2年間つづくとみられる非常事態宣言の後に総選挙を行い、国軍にとって望ましい政権に移譲しようとしているとみられる。またその選挙の際、NLDの政党登録は取り消されているとみられる
ただこうした国軍に対しては、様々な抵抗が続いている。まずNLDは、連邦議会代表委員会(CRPH)を結成し、独自の議会の組織、閣僚の任命、国軍のテロリスト指定などを行い、4月1日に国民統一政府を組織、独自の憲章を発表し、2008年制定の現憲法そのものを認めないという姿勢を鮮明にしている。運動自体は基本オンラインで行っており、非暴力的であるが、国軍への自衛目的であれば武装を認めており、過去の民主化運動よりも踏み込んだ方針をとっている。またNLDとは直接的な関係がないところで、市民の間では、市民的不服従運動(CDM)が起こっており、保健省の医療従事者が政府の関連業務の停止宣言を行い、またそれが行政機関、医療機関、大学、銀行、工業などにも広がっている。2月22日には、全国民約100万人が参加する「22222革命」が起こった。こうした動きは、1990年代半ば以降に生まれ、民政に移行した2011年以降の特に表現や結社の市民的自由を享受してきたZ世代と呼ばれる若い世代が主導している。このZ世代主導の運動は、必ずしもスーチー支持ということではなく、国軍の行動へ反発が活動の動機となっており、所謂活動家やエリートの呼びかけでなく多様な組織や集団の自発的な参加、多様な戦術、また急激に拡大していることが特徴である。そして、スマホやSNSを使い、特にタイや香港などの反政府運動から抵抗方法のノウハウを得ており、例えば、デモの際に3本指を掲げるポーズはタイの抵抗運動で行われていたものである。
(4)国軍による弾圧
前述のような抵抗が行われているにも関わらず、国軍によるNLD勢力の一掃の手は緩められておらず、スーチー氏らNLD幹部、閣僚、地方幹部らの逮捕、訴追、公判は継続・拡大し、NLDに近い実業家らも拘束されている。さらにCRPHに対しても強い警告と幹部の指名手配がなされている。またデモ隊に対して2月最終週末から強硬姿勢を明確にし、3月からは殺傷能力の高い武器の使用もあり、4月11日の時点で739人の死傷者数になっている。死傷者の内訳をみると、約80%が男性、また300人以上が35歳までの若い世代であることが特徴である。では、国軍はなぜこのように市民に銃を向けているのか。一つには、国軍にとって今回の国軍への対抗行動は、あくまでもスーチー派との政治勢力間の闘争として理解されているからである。また、国家の擁護者を自認している国軍にとって平和的デモであっても自身の望む秩序を乱すものは安全保障上の脅威だからである。さらに、国軍は、独立以来内戦において戦闘員と民間人が区別できない戦場で戦い続けてきておりそれが慣習になっていることも影響している。また、そもそもミャンマーでは、1962年から2011年まで軍事政権が続き、文民統制はもとより、司法や文民官僚の影響力が極端に弱く、軍の行動を抑制する仕組みになっていないのである。
では今後の行方はどうなっていくのか。すでに国軍vs NLDの権力争いから、国軍 vs NLD/市民との闘争に構図が変化している。国軍にとっては、想定を超えた抵抗を受けてもスーチー派の一掃と政権移行に固執し、その方針を変更しない可能性が高い。その場合は、市民の犠牲者数は増え続け、少数民族武装勢力と国軍の戦闘が激化し、人道危機になる可能性もある。また市民がある程度国軍に従属した場合は人道危機までに至らないだろうが、そこで生まれる新政権は全く正当性がない政権となり、引き続き内部の対立が続くことになるだろう。
(5)国際社会の役割
では、こうしたミャンマーの情勢に対して、国際社会はどのような対応をとっているのか。まず国連は、3月11日に安保理議長声明、同24日に人権理事会による非難決議、同28日に事務総長の避難声明が出され、強い姿勢を示してはいるが、安保理決議は中国およびロシアの反対で実現していない。また、ミャンマー国軍は国連に対して長年不信感をもっており、国連による特使もミャンマーに入国できていない。米国は、国軍幹部、国軍企業をSDNリストに加え、ミャンマー政府の資産10億ドルの凍結、4200万ドルの援助中止、輸出入規制なども行っている。ただ、ミャンマーは長きにわたって経済制裁を受けていた国であり、それがどこまで効力をもつのかは不透明である。中国は国軍の動きを承認することに躊躇し、また各国のミャンマーへの内政干渉を牽制している。中国からミャンマーに対して、「3つのサポート」として、①法的枠組み内で政治的安定を求めるミャンマー国内関係者、②ASEANの「内政不干渉」、③ASEAN特別首脳会議開催、の3点についてサポートすること、さらに「3つの回避」として、①さらなる民間人犠牲者、②国連安保理による不適切介入、③私的利益を得ようとする外部勢力の介入、の3点について回避すること、を表明しているところである。ASEAN諸国では、インドネシア、シンガポールなどがミャンマー側に働きかけを行っているが、タイなどミャンマーの隣接国と必ずしも歩調があわず、ASEANとして結束できていない。こうした中で日本は、もともと国軍側からもスーチー派側からの信頼を受けているという特殊な立場にあり、ミャンマー情勢に憂慮を示しつつも、国連や欧米とは一線を画した独自外交路線をとっている。①民間人への暴力停止、②スーチー氏らの解放、③民主的体制への復帰、の3点を国軍側に要請しているが、スーチー氏らの解放は国軍にとって受け入れられないことであり、効果的な対応ができているわけではない。
このように、現状では、どの国も外交の影響力は限定的であり、ミャンマーの中期的な安定のための関与にはまだ時間が必要である。ただ、待つだけでは犠牲者が増え続け、国内外の批判も高まることになる。現状、民間人への暴力停止要請には国際的なコンセンサスがあることから、それの実現方法を探ることが目下の重要課題であろう。また日本としては、国軍が国連や欧米諸国に拒否感をもっていることから、ASEAN諸国と連携しつつ圧力をかけていくことが必要であろう。
以上
文責:事務局