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2018-03-16 17:26

中国の憲法修正に関するもう一つの解釈

加藤 隆則  汕頭大学長江新聞與伝播学院教授
 1982年憲法は、「終身主席」の毛沢東に対する個人崇拝によって文化大革命の災難がもたらされた反省から、国家主席の任期を2期、10年に限定した。文革期、国家主席だった劉少奇は、毛沢東の指導した大衆運動によってつるし上げられ、最後は河南省開封の銀行倉庫で、名前も伏せられたまま息を引き取った。私も訪問したことがあるが、開封には劉少奇の最期の場所が、ひっそりと記念館として保存されている。名目上の最高権力がこんな場所で・・・と胸を打たれた記憶がある。こうした悲劇の後遺症から、文革中は国家主席が廃され、82年憲法によって復活した。だが、主席がかつて持っていた行政、軍事にわたる強大な権限は取り除かれ、全国人民代表大会の決定に基づき、法律を公布し、総理など指導者の人事を任命するほか、外交上、元首として接遇の任を負うなど形式的な存在に変わった。それは今回の修正案に至るまで変わっていない。つまり、国家主席は象徴なのだ。これだけをみても、「任期撤廃は毛沢東時代への逆行だ」との議論が成り立たないことは明らかだ。

 政治は、実体を持った権力の世界である。こうした認識を下敷きにして、82年憲法後の歩みを振り返ってみる。そうすることによって、「父親の習仲勲が採択したものを、息子の習近平が修正した」ことの本当の背景が浮かんでくる。文革後の1970年代末以降、改革・開放政策を推し進めた鄧小平は生涯、肩書を持たないまま最高権力者であり続けた。長老グループによる支配を貫き、胡耀邦、趙紫陽と形式上トップの総書記を自由自在にすげ替える離れ業をやってのけた。趙紫陽が失脚した理由の一つは、彼がゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(当時)との会見で、「重要な問題は鄧小平同志の指示を仰ぐ」との党内秘密決議を暴露したことにあった。忘れてはならないのは、一連のルールに従わない不透明で不公正な手続きに対し、唯一、机をたたいて抗議したのが、習近平の父、習仲勲であることだ。彼はこのために鄧小平の怒りを買い、晩年の十数年間、北京を追われることになる。82年憲法で国家主席の権限と任期に制限が加えられたが、実際、最高権力は憲法によらず存在していた。中国における憲法の地位はかくももろい。長い歴史の中で培われた中国人の合理精神は、実のない「法」が独り歩きすることを強く警戒する。任期を縛る憲法条文も、そもそも象徴的な規定であり、状況が変われば難なく変更できる。目的と手段は混同されない。法は統治のための手段であって、あくまで目的が優先されるべきなのだ。これが中国政治を貫く不文律であることを認識しなければ、何も理解できない。

 言うまでもなく、共産党独裁を支える権力の源泉は軍の掌握にある。革命から建国まで軍を率いた鄧小平の権限は、憲法が保障するのではなく、革命世代の威厳にほかならない。その権威に頼って、権力と利益を恣意的に利用したのが江沢民元総書記だ。天安門事件後、地方平定の実績を買われて中央に抜擢された江沢民には、常に暗い影が付きまとったが、鄧小平の権威がその暗部を埋め合わせた。江沢民は、15年にわたって中央軍事委主席を務め、過剰な利益誘導によって軍内に大きな影響力を温存した。この大盤振る舞いが、負の遺産として残り、習近平の軍内反腐敗キャンペーンにつながっていることは、留意すべき点である。江沢民は総書記と国家主席の座を胡錦濤に譲った後も、2年近く中央軍事委主席の椅子に居座った。2004年9月、完全引退するに際しては、胡錦濤に対し「重要事項は江沢民に相談する」との密約まで結ばせた。自らが背負った暗い影は、墓が暴かれる恐怖を生み、権力への執拗な執着につながったのだ。つまり、現行憲法のまま、中国の歴代指導者は、党・軍の権力者として法を超越した存在であり続けた。だから、我々が問うべきは、習近平がなぜあえて修正の道を選んだのか、との一点である。結論を先に言えば、私は、習近平は、おざなりにされてきた憲法を重視し、権威を高めたいがゆえに、修正の道を選択したと考えている。父親たちがつくったものを継承する紅二代の心境とはそういうものではないのか。不条理にさいなまれ続けた父親が望んだのも、法律による統治だった。

 2017年10月の第19回党大会で、習近平は常務委員7人の中に、後継者を入れなかった。また、軍の最高機関である中央軍事委員会にも制服組以外は登用しなかった。この時点ですでに、習近平政権の長期化は既定路線となっていた。党への絶対服従を誓う中央軍事委は、党総書記兼同委主席である習近平1人に権限が集約された。党・国家のトップになるためには、軍の経験を積むことが不可欠であることを考えれば、現時点で後継の有資格者は望むべくもない。習近平にとっては2期目後、江沢民の前例を踏襲し、軍の肩書を残して君臨することは十分に可能である。私は当初、その可能性を想定していた。だが、彼は、憲法に定められた象徴の肩書を失ったまま、実質的な権力者として居座る道を選ばなかった。形の上であるにせよ、父が残した法を生かす道にこだわった。これは、憲法の軽視ではなく、憲法への尊重ではないのか。血統を重んじる中国政治のロジックは、私にこう語りかけている。
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