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2009-04-22 00:00
(連載)タイ政治と東アジアの地域統合(1)
矢野 卓也
日本国際フォーラム研究員
タイが「政治の季節」を迎えている。昨年12月の東アジア・サミット延期にひきつづき、今月またもや開催中止を余儀なくされたことで、タイ政治の混乱状況が国際社会に晒された結果となった。東アジアが、地域として多くの懸案を抱えた現状において、このような重要な国際会議がなかなか開かれないということは不幸である。当然のことながら、インドネシアをはじめ、タイの「だらしなさ」を嘆く声は少なくない。それにしても、当のタイは、未曾有の国内的危機を迎えつつある。サミット中止で、タイの国家的威信の失墜が語られているが、それどころか、タイでは「国のかたち」それ自体が揺らぎつつあるのだ。
「政治の季節」といえば、タイは1932年の立憲革命以降、クーデタが頻発し、軍政と民政が交互に成立するという奇妙なサイクルが続いていたわけであり、その意味では久しく「政治の季節」にあったということもできる。そのタイに、つかの間の平穏が訪れたのは1992年以降のことであった。タイはようやくそのような悪循環から脱却し、民主化が着実に進むかに見えた。しかし、2006年に再び軍部によるクーデタが起こり、その後、今日に至るまで安定した政権は成立していない。この間、タクシン元首相の勢力と反タクシン勢力の鬩ぎあいが目立っているものの、ことはタクシン個人の問題には留まらない。
現在タイが迎えつつある「政治の季節」とは、これまでとは違った特徴を持つといえる。なにしろ今のタイはあまりにも多くの対立軸がある。農村部と都市部の対立、貧困層と富裕層の対立、既存エスタブリッシュメントと新興勢力の対立等々である。従来、首都バンコクで繰り広げられてきた政争には留まらない全国規模の対立構造が表面化しつつある。タクシンはいわば、そのような対立軸の一端を担う象徴にすぎず、彼を駆逐したからといって、ことが収まる問題ではない。タクシンが火をつけた事柄の本質は、タイ社会の根幹にかかわるものであるのだ。むろん、既存エスタブリッシュメントもそのことに気づいているが、問題の根は深く、そうそう簡単にいじることのできないことばかりである。
そして、他ならぬ王制がゆらぎつつある。これまで、どのような政変があったにせよ、最終的に事態を収束させたのは現国王のラーマ9世であった。国王の調停には、誰もが従うという意味で、その政治的権威には絶大なものがあった。しかし、この権威はラーマ9世が本人のカリスマによって一代で築きあげたものであり、タイ社会にビルト・インされたものでは必ずしもない。高齢の現国王がいつまでも健在というわけにもいかず、跡継ぎとなるワチラーロンコーン親王の不人気は(タイ国内では誰も語りはしないが)知る人ぞ知ることである。国王という究極的調停手段を失ったタイが、今後どのような方向に進むかを予測することは極めて困難といえよう。(つづく)
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