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2009-04-20 00:00
世襲制限なくして自民党に未来はない
杉浦正章
政治評論家
「売り家と唐様で書く三代目」の事態に自民党が陥らないよう、次期総選挙のマニフェストに「次々回の総選挙から世襲を制限する」という構想を盛り込む案が台頭している。案の定2世議員らの総反発と開き直りで、盛り込めるかどうかは風前の灯だ。しかし自民党がやると報じられて、野党も同様の措置をする方向にあり、自民党が方向転換すれば、マスコミと野党から総スカンを食らうことは確実。選挙対策上もここはやらざるを得ないし、やるべきだろう。45年間日本の政治を見てきたが、背骨がしゃきっとしていた首相は、三角大福中までで、その後は竹下登に始まってぐんと柔(やわ)になったと感じたものだ。しかし1996年の橋本龍太郎以来の「連続世襲首相時代」に入ると、総じて柔などというレベルを超えている。
とりわけ安倍晋三、福田康夫の政権投げ出しは、まさに2世議員の甘さの極致を象徴していると言ってもよい。どうしてこうなったかといえば、やはり戦中、戦後の混乱期を耐えて首相になった政治家とは、鍛えられ方が違っていたのだろう。2世3世の首相は厳しさが足りない。一見剛直に見えた小泉純一郎も、引退表明と同時に息子にバトンタッチさせて、世のひんしゅくを買った。2世でも優秀な政治家が多いのは言うまでもないし、「世襲が悪い」という数値を出すのは不可能。だから経験と勘に元ずく判断で語るしかないが、総じて世襲が多数を占める自民党に変革志向がなく、17人しかいない民主党にチェンジの気風を感ずるのは、私だけだろうか。衆院480人中131人が世襲であり、そのうち107人が自民党所属議員となると、問題が生ずるのだ。一つは政党としての血がよどむのだ。政党として飛躍の発想が出されなくなる。事なかれ主義に陥りがちとなる。創始者の意気込みがなくなる。
人材の新陳代謝も効かなくなる。いままさに自民党が「売り家」と書くことになりかねないまでになっている、のがその証拠だ。閣僚人事にも反映され、麻生内閣は17人中11人が世襲議員だ。英国の場合、下院には世襲はほとんどいない。日本と同じ小選挙区制だが、政党が公認した議員の選挙区を選ぶ制度であり、日本のように地盤、看板、カバンの全てを受け継ぐことはあり得ない。小泉の場合も息子を他の選挙区から立候補させれば、批判の対象にはならなかったであろう。要するに、日本で世襲が多いのは、政治家を中心に「城」が形成され、「殿」に万一のことがあれば血筋を代わりに立てて、足軽に至るまで安泰、という選挙システムが形成されているからだ。しかしお家は安泰でも、国家はよどむことになる。
政権公約を検討する党プロジェクト・チームの座長に内定している選対副委員長・菅義偉が、次期衆院選の政権公約(マニフェスト)に国会議員の世襲制限を盛り込む考えを示したのも、こうした背景を意識してのことであろう。しかし首相・麻生太郎が「選挙権のある方は誰でも立候補できることになっているから、制限は難しい」と消極的なのに加えて、衆院議院運営委員長・小坂憲次にいたっては「私は世襲の権化。覚悟を決めなければならない」と開き直ってすごんでいる。なにか自分の被選挙権を剥奪されるとでも思っているような発言だが、菅の狙いはそうではないだろう。既成の政治家は別にして、その子供の世襲を制限しようというのだろう。法的には既成政治家の立候補制限は不可能だが、政党の党則で決めれば、同一選挙区での親子の継承立候補という弊害は除去できる。この世襲制限は菅が言い出したときに既に“公約”の色彩を帯びており、党内2世議員の反対でつぶれたとなると、それなりの反動が来ることを自民党は覚悟しておいた方が良い。
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