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2009-04-16 00:00
求められる戦争体験の相対化
近藤 健彦
明星大学教授
私の全訳したジャン・モネの仏語『回想録』(1976年)について、ボチボチ批評に接するようになった。フランス語で642ページもの大著を一人で訳して「その労苦はたいへんだったろう」などとお世辞にでもいってくれる人がいるかと期待したが、甘かった。そういう緩い書評はない。その中で私が無理して仕立て上げると、どうもこの翻訳出版の積極的意義は、次のことになるらしい。第1は、モネの欧州統合構想を理解するにはシューマン・プラン(モネがゴースト・ライターだった)を熟読するだけでは足らず、その前の第1次大戦、第2次大戦の彼の経験についての理解が是非必要だということである。第2は、モネ深さに、時々読むのを中断して考えさせられる、ということにあるようだ。
フェアーであるためには酷評も取り上げなければならない。さる学者の書評に「回想録はモネに限らず、自分のやったいいところだけ誇張して、悪いところは省略する。モネについても、イタリア人実業家夫人の略奪婚とか、実業家のときに米国から脱税容疑をかけられたことなどを、訳者はこれらを注解して、モネを相対化すべきだった」というのがあった。私に言わせてもらえば、私は生来人の個人的スキャンダルにあまり興味がないというか、そんなことにこの年になって時間をかけたいとは思わない。ただ「相対化」について言えば、モネの回想録は、見事なまでに第2次大戦の本質を記述している。
日本人の一般的第2次大戦の評価とは、かなり差があると思う。これが私がこの本を全訳しなくてはと思った一つの理由である。モネ個人の相対化にはなっていないかもしれないが、そんなことよりもっと大事な相対化が、この回想録にはあると評者に申しあげたかった。近藤道生先輩が日経新聞に目下連載中の「私の履歴書」での戦争体験の部分が話題になっているのも(ちなみに私と同姓で、しかも大蔵省の大先輩でもあるが、私はまったく存じ上げていない)、そのことと関係する。アジア共同体の議論も底に流れているのは「第2次大戦の総決算」なのである。
もう一つの酷評として、「この本はなかなか読了しえない。訳が悪いことだけでなく、個々の経験が貴重で、立ち止まるからだ」というのがあった。訳が悪いときめてかかっているのに憤慨している。私はもとよりモネのような歴史的偉人でも何でもないが、奇妙なもので、翻訳をなさったご経験のある方にはお分かりいただけると思うが、モネがくさされると、モネに代わって憤慨したくなる。
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