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2009-04-15 00:00
(連載)「金正日・張成沢体制」が見えてきた(3)
大江 志伸
江戸川大学教授・読売新聞論説委員会特約嘱託
張成沢氏の国防委員起用の第二の要素は、国内最大の政治集団と化した朝鮮人民軍との関係である。核兵器、ミサイル開発や対南敵視政策は、強硬路線をとる人民軍の影響力拡大と連動したものだ。暫定体制の色彩が濃いとはいえ、「金正日・張成沢体制」の発足に当たり、人民軍の出方が最大の鍵となったはずだ。年明け以降の軍首脳人事に注目してみよう。北朝鮮は2月11日付けで、人民武力相を金鎰?氏から金永春国防委員会副委員長に、朝鮮人民軍総参謀長を金格植大将から李英鎬大将に交代させた。新任の両氏は、金正日総書記の側近ながら、軍内タカ派とされる。
その8日後の19日には、呉克烈労働党作戦部長が国防委員会副委員長に新たに就任したことが公表され、副委員長は3人体制となった。呉副委員長は1931年生まれの78歳。ソ連空軍大学に留学し、現代的な軍事科学技術を習得した軍事エリートで、軍内では革命第二世代の代表格とされてきた。金正日総書記とは、万景台革命学院の同期で、「酒友達」ともいわれる。金正日側近として1979年、人民軍総参謀長に就任した呉氏は、軍改革・近代化路線を掲げ、第一世代で金正日総書記の「後見人」とされた呉振宇人民武力相(故人)と激しく対立、権力闘争に敗れ、対南特殊工作を主任務とする作戦部長に回った経緯がある。
今回の呉氏復活については、2つの見方が成り立つ。一つは、持病で復帰不能といわれる趙明禄第一副委員長の後任に充てるため、軍長老の域に達した呉氏の国防委員会入りを急いだケースだ。もう一つは、金正日総書記の腹心として、軍内、党内で実権を拡大していくケースだ。2006年、韓国国会情報委員会は「北韓の危機管理体制と韓国の対応策」と題したレポートを公表し、「金正日に不慮の事故があった場合、軍、政局を掌握できるのは呉克烈」と指摘したことがある。今回の復活が後者なら、張成沢、呉克烈の両氏が、連携しながら軍内を掌握し、後継体制を固めていくシナリオが可能となってくる。
今回の軍首脳、国防委員会人事からは、新体制の不安定さを示唆する動きも読み取れる。人民武力相を交替した人事と呉克烈氏の国防副委員長就任が同時ではなく、人民軍としては異例の五月雨人事になった点などである。張成沢氏の国防委員会入りに対し、軍内で抵抗があり、軍首脳の入れ替えを段階的に進めざるを得なかった、と見るのが妥当ではあるまいか。金総書記は今年に入りほぼ2日に1度のペースで現地指導を行ってきた。異常なペースだ。健康不安説払拭が目的と解説する内外識者が多いが、筆者はむしろ「金正日・張成沢体制」作りと関連した動きと見ている。つまり、病み上がりの総書記自ら張成沢氏を伴って現地指導を繰り返さなければならないほど、様々な摩擦があったのである。いずれにせよ、新体制の前途もまた多難といわざるを得ない。(おわり)
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