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2009-02-04 00:00
許すわけにゆかぬ「武士の商法」
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
旧・郵政省時代に作られた「かんぽの宿」が赤字垂れ流し状態になっているとして、所謂郵政民有化に伴なう措置により民間に払い下げられることになった。ところが建設費2400億円かかったものを100億円で払い下げるという。それに「待った」がかかった。これに類した話は、農林水産省、厚生労働省などの所謂事業官庁といわれるところでは、軒並み話題に上ったことは記憶に新しい。官庁というのは大なり小なりオカネ(税金)を使うために存在しているのだが、その中でも事業官庁というのは、企業と同じように事業の主体としてオカネを使う。もっと端的にいえば、人件費(カラ超勤、カラ出張)や調度備品(マッサージ器)あるいは交通費(居酒屋タクシー)といった、いじましい無駄遣いと桁違いの事業発注をする立場にあるお役所だといってよい。さらに絵解きをすれば、公共事業として認知され、支出目的が明示された予算については、杜撰な予算執行を行う以外に、今すぐ使わなくても良いオカネ(その一部は世に言う「埋蔵金」である)、あるいは様々な理由によってプールされているオカネを、本来の目的以外の用途に、再び様々な屁理屈をつけて、野放図に使う(かんぽや年金はその典型)立場にあるお役所でもある。そのことが少しづつ白日の下にさらされるようになってきている。
もちろん無駄遣いといえども、屁理屈とはいえ何らかの正当化をする理由付けがある訳で、そうでもなくてただ闇雲に目的外に使ってしまえば、それこそ手が後ろに回ることになる。だから、「かんぽ」にしても、年金にしても、「ただ寝かせておくよりは、収益を期待して、ある目的に使った」という大義名分があるのは、当然至極の話である。問題なのは、その意図した収益が上がるどころか、真っ赤っかになってしまった、というところにあるのだが、これこそが人呼んで「武士の商法」そのものであるのは多言を要すまい。「見込み違いは世の常だ」としてお目こぼしを許す訳にゆかないのは、見込み違いに対して責任を問うことができない、というより、そもそも責任を問う仕掛けになっていないところでこういう火遊びをすることだ。民間の企業であれば、業務上背任から倒産に至るまで、ブレーキがかかる手だてはいろいろある。それがあってさえ様々なことが起こっているのに、そんな安全装置さえないところで、何が起こりうるか、現に起こってしまったか、が明らかにされつつある、ということだ。
情報公開とマスコミを中心とした牽制効果が本来多少の役割を果たす筈なのだが、虎の子の年金の源資や保険の掛け金がこともあろうにそんないい加減な事業に投資されているなどとは、全く国民は知らなかった。のみならず、一見気が利いた風に見えるそうした投資(?)を、いかにもお役人らしからぬすてきな仕事ぶりだと提灯を持ったマスコミさえあったのは、ご承知の通りだ。前例尊重、瑣末主義、予算主義などと揶揄されるお役所仕事だが、それを悪し様にいうのは全く当を得ない話で、本来お役所というのは税金を公平に、かつ平等に使って頂くように制度設計されている。それが、なまじ思いつきで気の利いたことをしようとするから、妙なことになるだけの話だ。価値観が多様化している。需要構造が複雑化している。そういうものに対処したければ、自分でやろうなどとしないで、民間の主体を選択して委せる他はない。ことはもうけ仕事だけではない。本来の「公益」を慮った仕事だって、市民社会に委せた方がよほどうまくゆくことも多いのだ。
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