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2009-01-19 00:00
(連載)中央政策官庁はマクロを見よ(2)
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
マネージメントにも、経済学と同じでミクロとマクロがある。中央省庁がミクロに踏み込んでその具体的施策まであげつらっていたのでは、肝心のマクロがお留守にならないか。この外郭団体にとって、本命は経産省であり、環境省はいわば添え物のような役所ではあるが、だからといって、ことの是非が変わる訳ではない。ミクロに淫したくなる心情は、お役人ならずとも、誰しもが持っている。「会社の役員会で数百億円の設備投資については数分間で決定がなされるが、数万円のクーラーを備えるかどうかについては数時間の議論が戦わされる」と皮肉ったパーキンソンは、その間の事情を見事に見抜いている。
京都議定書の実施を巡って、キャップ・アンド・トレードによる排出権取引には、産業界の反対が強く、いまだ自主参加方式に留まっている。それでよいのか。また、ビョルン・ロンボルグ(デンマークの政治学者)によって提起されているより基本的な問題、つまり「温室ガス削減にこれほどのオカネを使うのなら、それより先に環境問題についてなされるべきことがあるのではないか」という問題もある。例えば「途上国における清浄な飲用水の確保」という問題があるのではないか、といったことである。マクロな政策課題は解決にはほど遠い実情にある。「脚下を照らせ」とは禅の公案だが、足下だけに気を取られていては、国の政策が泣こうというものだ。(おわり)
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