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2008-11-17 00:00
旧制高等学校が果たした歴史的役割
四条秀雄
不動産業
旧制高等学校は、外国語学校として出発しました。明治の中期、大学には非常な高給で雇った外国人教授が席を占め、その講義を受けるための条件を整えるために、大学の予科として旧制高校は存在していたわけです。授業を受けるために必須の西洋の語学と西洋の教養を身に付け、西洋のエリート予備軍と同等程度に仕立て上げることが、その目的でした。旧制高等学校と帝国大学の関係は、現在の前期教養課程と後期専門課程の関係に対応していますが、旧制高等学校に入学できれば、ほぼ自動的に帝国大学に入学できたわけですから、旧制高等学校の3年間はエリート予備軍の完全なモラトリアム期間となっていました。そして、鉄道が主要な移動手段である時代でしたから、学生の半分は寄宿舎生活を送ったわけです。
この結果、非常に純粋で閉ざされた知識を追求する共同体の文化が形成されました。余談ですが、今日の大学がレジャーランド化した一因は、新制大学の初期に、旧制高等学校出身の教授達がかつての旧制高校文化を新制大学教養課程に投影した結果だとも言えます。大日本帝国時代の教育制度は、旧制高等学校の成り立ちからも分かるように、欧米の知識を吸収するための翻訳文化の母体となっていました。今日我々日本人が使用する漢字化された近代的な概念語のほとんどは、ここから生み出されたものです。著名な作家、政治家、多くの実業家は、帝国崩壊までに卒業した20数万人の旧制高等学校生の中から輩出されました。
そしておそらく、戦後の日本社会を特徴付けていたコンセンサス社会というのも、この共同体が母体になっていたのではないかと思われます。旧制高等学校の遺産は、新制大学下では学園闘争での自治のはき違えと破壊で消え去り、日本全体としては、卒業生の死去と言う形で、現在ほぼ消失したかもしれません。最近囁かれている文壇や論壇の消滅は、この共同体文化の消滅に原因があるのかもしれません。大日本帝国の旧制高等学校制度は、発展途上国のエリート育成に十分参考になるのではないかと思われます。それは擬似的な形で、西洋におけるラテン語教育の伝統を非西洋の開発途上国であった日本に再現しました。そこでは、翻訳という受動的な形ではありましたが、テキスト文化が育まれ、それを土台として自国語での自立的な教育が可能となったのです。
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