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2008-10-20 00:00
「国家か、市場か」の二者択一は不毛な議論
櫻田 淳
東洋学園大学准教授
現在、国際金融情勢の混乱の最中で頻繁に説かれているのは、「『市場』の優位の時代の終焉」ということである。確かに、此度の金融危機に際しては、国家の枠組による介入や規制が、当然のように要請されている。
しかしながら、1990年代以降、たとえば中国、ロシアのような「新興国」における経済発展が劇的に進んだのは、こうした国々が「冷戦の終結」以後に市場経済の世界規模のネットワークに組み込まれたからである。現在のアフリカ諸国の状況が暗示するように、他国からの経済援助は、その国々の経済発展を本格的に促すものとはなり得ない。市場経済ネットワークの中で自由貿易体制の一翼を担うことにしか、それぞれの国々の経済発展の道はない。その点でいえば、「一身独立して、一国独立す」という福澤諭吉の言葉は、普遍的な真理を突いているのである。
ところで、此度の金融混乱に際しては、日本、中国、韓国、そして東南アジア諸国は、比較的に浅い傷に留まっていると評される。振り返れば、川勝平太教授(経済史)が指摘したように、自由貿易と呼ばれるものの故地は、実は東南アジア多島海地域であった。17世紀以降、東南アジア地域に進出してきた英国は、その自由貿易を自らのイデオロギーとして用い、20世紀に入って以降の米国は、それを英国の覇権に併せて引き継いだのである。
とすれば、目先の混乱に幻惑されて、「角を矯めて、牛を殺す」が如き議論に走るのは、愚かというものであろう。「国家か、市場か」という二者択一的な議論の仕方は、粗雑なものでしかない。国家という枠組は、結局は、人々の自由な活動を支えるためのものである。自由貿易の故地であるアジアから、現下の金融危機の打開に向けて、どのようなメッセージを打ち出せるのか。そうしたことを考えることが生産的であろう。
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