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2008-09-22 00:00
福田外交を継受して、「顔の見える日本」を目指せ
進藤榮一
筑波大学大学院名誉教授
「ジャパン・ミッシング(日本が見えない)」が、いま国際社会で日本を評する合言葉となっている。現職首相の突然の2度目の辞任劇は、この言葉にいっそうの信ぴょう性を与えるだろう。しかし、日本外交の近未来に関する限り、福田首相の退場は十分に惜しみある。というのも、福田首相は、わずか1年弱の在任中に、ポスト冷戦のアジア外交の転機を着実に作り上げていたからだ。まず「靖国参拝せず」を明言実行し、関係修復によって日中間に「戦略的互恵関係」を据えるのに成功した。胡錦濤主席が「暖春の旅」と呼んだ先の訪日が、そのことを象徴する。その現在が、東シナ海ガス田共同開発合意によって固められた。この合意は、半世紀前の欧州石炭鉄鋼共同体設立に匹敵する潜在性を秘める。
次いで、福田首相は、アジアの中で生きる日本外交の指針を明確にさせた。北海道洞爺湖サミットに先立ち、福田首相は、対アジア外交の基本指針を「アジア的格差解消の30年」と位置づけ、ASEAN共同体実現の支援を誓い、知的・世代的交流強化とアジア防災・防疫ネットワーク構築によって、東アジア共同体を現実外交の射程に組み入れるのに成功した。そのうえで、グローバルな21世紀的課題にふさわしい外交姿勢も展開した。2008年9月、地球温暖化防止をグローバル戦略の一方の軸に据え、日本のすぐれた環境技術の支援供与によって中印等の新興諸国を誘い、ポスト京都議定書の大枠を不完全ながらも作り上げた。他方の軸に、対アフリカODA倍増計画を据え、資源外交戦略の礎石につなげた。
30年前に「全方位平和外交」でアジア重視路線を打ち出した父・赳夫氏の「福田ドクトリン」を今日にほうふつさせる。前任首相の時代遅れで危うい「価値観外交」にはない、現実的な外交感覚の表出だ。にもかかわらず、福田首相は、前任者に続き無責任にも政権を放り出し、戦線離脱した。まずは、世襲議員特有の政治的執着力のあまりのひ弱さを指摘しなくてはなるまい。そのうえで、米国型資本主義論にまぶされた日米基軸論の呪縛を、福田首相もまた解くことができなかった、構想力の貧困を指摘できる。その貧困が、庶民向け定額減税を主張し、インド洋給油継続に躊躇する連立相手の公明党を、最後まで説得できず、軍縮予算も組めなかった限界に集約される。その限界は、ポスト冷戦の日本全体を覆う陥穽なのかもしれない。その陥穽が、「超格差国家」米国の弱肉強食的なファンド・カジノ資本主義に代わる「人間の顔をした資本主義」を、いまだ構築できない政策構想力の貧困と重なる。
その意味で私たちは、いまようやく、政権交代によって福田外交を継受しながら、「顔の見える日本」を展開できる、ぎりぎりの転機に立つに至ったといえる。福田後継者選びの茶番は、ただ「ジャパン・ミッシング」を加速させるだけでしかないだろう。まさにこの転機において民意を問うことこそが、「ジャパン・ミッシング」を反転させて、「ジャパン・バニッシング(日本消滅)」に至らせない唯一の道であるだろう。
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