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2008-09-08 00:00
アジアの経済学を求めて
四条秀雄
不動産業
経済学の定義は、希少資源の効率的に配分ことを研究する学問であるとされています。普通、経済学が対象としている地域は、先進国地域ですから、インフラや法制度が整った場所での、希少資源の効率的配分が、経済学の主要な研究目的になります。一方、発展途上国では、インフラや法制度が整っていないことが普通ですから、研究がもっと複雑で多目的になるように思われます。アジアの経済学というものがあるとしたなら、インフラや法制度の形成と同時に、先進国のような効率的配分の追及をする、というよう目標を持つ経済学になるのでしょう。
インフラの形成が、首都にあたる大都市や、中国のやったような経済特区で先行しつつ、次第に市場が拡大して効率的配分が進むのが現実だと思います。従って、その過程は混乱と非効率に満ちています。そして、混乱し非効率であったとしても、インフラ・法制度形成と市場の拡大が進むのを見極め、助けるのが重要だと思われます。その点で、日本がインフラ形成に重点を置いた開発援助を持続したのは、非常に成功したと思われます。
グローバル化の時代になって、誰もが気づいたように、人間の価値は、同じ人間であっても、その人が属する国家や自治体のインフラ、企業のインフラに応じて変化します。国家や自治体のインフラは地理的に埋め込まれ、移動が不可能ですが、企業のインフラはある程度移動が可能です。そして、個人や家計は、両者に属しつつ、私的なインフラを形成します。近代化で成功した日本のような国は、政府・自治体のインフラ形成で先行し、そこに住む人間の価値も高まりますが、やがて後続する国家にインフラの蓄積で追いつかれて、人間の価値も等しくなるように推移します。より望ましいインフラとは何か?それを永久的に維持し、改善し続けていくにはどうしたら良いか?より多くの国民をそのインフラの上に載せるには、どうしたら良いか?このような問題意識が、アジアの経済学には必要ではないかと思われます。
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