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2008-08-22 00:00
(連載)公とは「オカミ」のメンタリティでよいか(1)
入山映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
残念ながら日本の組織のほとんどは、ユニークなプログラムを主催することが出来ず、陳腐な要人招聘とか、学者先生のお知恵を借りたありきたりのシンポジュームのたぐい(新聞の広告欄をご覧あれ。枚挙に暇がない。)しか開けない。それはかつて、日本の聴衆のみを相手にし、感性が世界に向かって開かれていないこと。そして、プログラム主催者の知性と見識の不足と「横並び」大好きな性向に起因する。だがことはそれだけではない。たとえ陳腐で愚劣なイベントでも、開かないよりは開いた方が良いことだってあるからだ。問題なのはさらに恐るべきことが進行中だということだ。
国際問題と言えば「日本の国益」だといい、日本の国益とは日本の「顔の見える」貢献だと言う。あげく、大事なのは日米関係でコーカサスや中央アジアはどうでもよいと考える。せいぜい思いついてもエネルギーを高度に依存する中東であり、世界の潮流に乗り遅れないように一応の関心をアフリカに払う。こんな貧相な知性がいかにして育まれたのか。こんな硬直的なステレオタイプが何によってもたらされたのか。
他でもない官僚主義であり、予算主義であり、単年度主義である。というといかにも唐突に聞こえようが、省庁のタテ割りの利権構造に絡めとられ、公益国家独占主義と憲法89条体制のもとで、公のことは「オカミ」がとりしきる。内容よりは形式、新規よりは前例、異論よりは同意、議論よりは権威を重視するメンタリティがどれほど長くの間幅を利かせてきたことだろう。その間にすっかり飼いならされた知性も少なくない。(つづく)
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