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2008-07-31 00:00
(連載)最近の「米国離れ」論について(2)
中山 太郎
団体非常勤職員
戦前の日本なら、「中国けしからん」と懲らしめの戦争でも仕掛けるところですが、今はそうは行きません。中国が共産主義イデオロギーに代わるものとして、愛国主義を掲げているのを、外部から簡単に変えることはできません。心ある現地の中国人教師と協力して、日本人の子供をいじめないよう、色々動くしかありません。考えてみれば、この子達は、親の仕事に同伴しているだけで、何の責任もありません。親は、今の日本に税金でだいぶ貢献しているはずです。そして、日本国内での発言者たちもその恩恵にあずかっているはずです。
友人が、カナダのケベックのラバール大学で、日本語教師をしていました。フレンドリーな人たちに囲まれ、生活をエンジョイしていました。1990年代の中ごろです。そのころの日本の総理は、西側世界の首脳から相手にされないことで有名な方でした。ある外国人が、教えてくれました。「晩餐ディナーの席で、落としたナイフを自分で拾わないよう、周りの気遣いは大変だったらしいぜ」と。その頃、クリントンに来日をドタキャンされ、頭にきた総理。しかし、大国の米国には文句は言えない。今度は、カナダ首相が来日をキャンセル。「やつは、変な野郎だ」と、総理が漏らした。これが、現地の新聞で大きく報道された。
その頃、実はカナダでは、直前のアンケートでケベック独立が、1~2%の差でどうなるかわからない状況だったのです。日本で言えば、関西地区が独立するかもしれないという状況でした。カナダ首相は、ラバール大出身でしたから、友人は「日本人はこうした相手の事情もわからないのか」と、散々な攻撃を受けたそうです。最近では著名な国際経済評論家の豪首相の最初の外遊先から日本がはずされたことで、豪州を厳しくとがめた例があります。豪州の知り合いが嘆いていました。影の内閣の外相時代、何回日本へ来ても、日本外相は会おうともしなかった。また、首相と別個に、閣僚が5名も日本へ来て、会談をしているのだ。
世界の田舎者であるわが国民に「一身独立して、一国独立する」ことなどは、無理ではないかと思うのです。私は、はいつくばっても、生存を続けるほうを選びます。満州から一番最初に逃げ出したのは、大言壮語の軍人でした。日本人残留孤児を引き取り、面倒を見てくれたのは、中国人でした。米国が、世界共通の問題で、中国の助力を得ようと対応するのは、当然のことです。(おわり)
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