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2008-07-31 00:00
(連載)最近の「米国離れ」論について(1)
中山 太郎
団体非常勤職員
7月29日付けの山下英次さんの本欄へのご投稿「一身独立して、一国独立する」(628号)を面白く読みました。最近の「米国離れ」論の一例だと思いますが、以下「米国離れ」論について一言させてもらいます。かって、日本は「ワシントン体制」(1922年)の下で外交を進めていましたが、当時対峙していた中国問題については、中国のナショナリズムやその現状打破の潮流を読み取れず、ずるずると泥沼に入ってゆきました。
「ワシントン体制」は、もともと米英からすれば、日本抑制の狙いも秘めていたのは当然のことでした。しかし、日本には、米英との協調による利益も多々あったのです。利益、不利益を天秤にかければ、日本社会が開かれたものになり、国際的、普遍的な考え方を受け入れるチャンスでもありました。勿論、これは、米英のルール、基準だとの反論もありえます。しかし、現在に至るまで、これに代わりうる規範を非欧米諸国は創り出せておりません。
山下さんのご主張は、「言葉」が先走りしていて、現実世界に立脚したものとは思えないのです。これは、茂田宏さんの7月27~28日付けの本欄へのご投稿「圧力に屈して外交は成り立たない」にも感じられます。海外の現場で、毎日を格闘していた者から言わしていただきますと、リアルさが感じられないのです。いま日本で盛んになってきた「米国離れ」論には、「ちょっと待てよ」といいたいのです。海外にいますと、日本のエスタブリシュメントのかたたちの、日本国内での安易な発言が、我々を直撃します。
以下、実例を書いて見ます。「靖国賛美」「南京虐殺幻論」「大東亜共栄圏礼讃」などの安易な反中論で、大人よりも実は、現地の学校に通う、子供たちが大変なのです。愛国主義教育のもとでの、中国人学童の元気のよい子が、「この野郎!」といじめるわけです。(つづく)
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