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2008-07-26 00:00
アフリカの開発支援のために日本のやるべきこと、できること
入山映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
アフリカ開発会議(TICADⅣ)がめでたく幕を引いた。福田総理は40人のアフリカ元首と15分ずつマラソン会見をされた(多分通訳付きだろうと思う。英・仏・スワヒリに総理が堪能だとは考えにくいからだ。すると通訳の時間を除くと一会見当たり7分30秒。一人のしゃべる時間は3分45秒だ。ご苦労様でした)。日本からの援助も倍増するようだし、筆者がかねて強調しているインフラ重視も宣言の筆頭に明記された。まずは日本の「存在感を示した」結構な会議だった、のだろうか?
総体的に見れば、経済成長率が29%弱に及ぶなど、長い低迷期を脱してアフリカ経済は順調に発展しているように見える。しかし、そのほとんどは、ガス・石油・鉱物資源等の天然資源に依存している。のみならず、途上国におけるそうした経済発展の通弊として、富の分配システムが正常に機能していないことから、一部の特権階級に恩恵が及ぶだけで、一般国民の貧困状態はほとんど改善が見られない。スラムでゴミをあさる人々の背景に高級外国車が走り、高層ビルが建ち並ぶ、という見慣れた風景があちこちに見られるのみならず、天然資源に乏しい国々は、依然として貧困に喘いでいる。
何も久しぶりのアフリカの明るいニュースに水を差そうというのではない。まして今回日本政府が見せた援助姿勢に批判を試みているのでもない。資源調達になりふり構わず狂奔するどこかの国や、内戦に乗じて敵対勢力の双方に武器を売り込んで大儲けしている国々に比べれば、むしろ賞賛されるべき態度だと言ってよい。しかし、善意が悲惨さをもたらす例も決して稀ではない。援助資材が一部支配階級の懐を肥やすだけ、というのは典型的だが、それだけではない。思い込みが仇になるという話は、例えば日本の対アフリカ援助成功例ともてはやされている米作支援(奇跡のコメ「ネリカ」)についても、考えられないではない。
なるほど「ネリカ」は素晴らしい成果を挙げている。しかし、コメを主食とするサブ・サハラの人口はアフリカ全体の3割に満たない。残りの7割の主食は、玉蜀黍(メイズ)である。しかも雨水依存型の農業が圧倒的だ。コメというのは、断然単位収穫量あたりの水必要量が多い。「ネリカ」普及が悪しき援助だと言っているのではない。そうではなくて、これでアフリカの飢餓が救える、という思い込みが危険だと指摘している。天然資源依存型の経済成長と共に、農業セクターの生産性向上がなければ、アフリカに未来はない。願わくば資源によってもたらされた富が、公正に分配され、基礎的農業セクターの振興の為に使われると良いのだが、そんな牧歌的な期待はほとんど無意味だろう。
だから、援助が大事なのだ。援助だけではアフリカは救えない。しかし、政策の決定的な方向付けに向けて、効果的な呼び水ではあり得る。というより、唯一それが期待しうる資源だといってよい。それ故に、善意と好意がもたらす意図せざる悪よりも、計算と打算に基づいた聡明な援助をこそ期待したい。日本はそれが出来るほとんど唯一の国だからだ。
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