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2008-07-11 00:00
「北東アジア安保機構」反対論に反対する
柳田 孝二
シンクタンク研究員
7月6日付けの高橋秀也氏ご寄稿「ワシントン会議後の日本を想起せよ」および7月10日付け茂田宏氏ご寄稿「6カ国協議と北東アジア安保機構構想」を最大限の関心をもって読ませていただいた。両論ともに、6カ国協議を北東アジア安保機構のような、北東アジアの安全保障にかかわる包括的地域取決めに発展させる構想に強い反対の意見を表明しておられる。反対する主たる理由は、1921~22年のワシントン会議において成立したワシントン体制が、日英同盟の廃棄と引換えに誕生し、以後日本外交はアジア太平洋で孤立し、対米戦争への破滅の道を辿らざるを得なかったという歴史の「教訓?」にあるようである。
しかし、この歴史解釈には、それを「教訓?」として成立させる論理構成に無理あるいは破綻がないか。まず第一に、確かにライス米国務長官は「6カ国協議」を「北東アジア安全保障メカニズム」に発展させる展望を示唆しているが、彼女はそれと同時に日米同盟を堅持することを強調しているのである。第二に、こちらのほうがより重要なのだが、日本が孤立したのは日英同盟を失ったからではなく、その後日本がワシントン体制の約束事(中国における門戸開放や機会均等)を悉く破ったからである。茂田氏ご自身が述べておられるように、日本は「中国内の権益擁護、満州事変、最後に対米戦争へと突き進んでいった」のであって、その逆ではない。
そのように考えるならば、もし万一6カ国協議を北東アジア安全保障メカニズムに発展させる構想が関係各国間で具体化してきたときに、日本だけがワシントン体制の「教訓?」なるものを理由にこれに反対するとするならば、それは何を意味することになるか、ということである。日本は再びアジア太平洋において関係各国の希望や了解を無視して独走するつもりでおり、北東アジア安全保障メカニズムはその邪魔になるので反対する、ということにならないのか。日米同盟の廃棄や形骸化を恐れるのも、その真意は日米同盟をそのような目的に利用することができなくなることを恐れているから、と解釈されないか。すくなくとも、そういうシグナルを送ることにならないか。
日本の取るべき正しい道は、6カ国協議がそれなりの成果(たとえば、北朝鮮の完全非核化、拉致問題の完全解決等)を達成して、その成果のうえに次の段階(つまり、北東アジア安全保障メカニズムのようなもの)に発展的に移行しようというのであれば、その主導権を取ることであって、それに反対するなどのことは、最もあってはならないことであると考える。いかがであろうか。多くの方のご意見をお聞きしたいと考えている。これは、たとえ遠い将来のユートピアであるとしても、日本として東アジア共同体のようなものをどのように考えるか、ということに意外と直結している問題なのである。
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