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2008-07-08 00:00
道州制における一つの国土分割案
四条秀雄
不動産業
私は2006年10月17日の本欄に「グローバリズムには『小さな政府』で対応できる」との投稿(153号)をしました。「グローバリズムに対して、組織体は、(1)自らが大きくなって、変動の影響を相対的に小さくすることを主とするか、(2)固定的な部分を小さくして可変部分を増やし、変動への対応力・反応性を上げることを主とするか、(3)開放体制をとって、かつ、積極的に移動量を誘導して制御することを主とするか、の選択を迫られます。これは企業の売上高の変動が大きな状況での、企業戦略の三つの対応と同じです。シェアを拡大して変動の相対比を引き下げるか、固定費を下げて売上高の変動を受け入れるか、売上高を拡大させるか。(1)は、EUの道であり、(2)は日本の道であり、(3)はアングロサクソンの道です。また、(1)と(2)は受動的な対応であり、(3)は能動的な対応です」という論旨でした。本日は、道州制との関連で、この拙論を敷衍してみたいと思います。
私は、グローバリズムという環境の変化に適応すべき組織として、企業のほかに、インフラ形成主体としての自治体があると考えています。人は、組織インフラと相互作用することで、自分の価値を高めることができます。人の価値を高めるインフラは、特定の空間に固有な属性ですから、そこを離れない限り人は自分の価値の上昇を享受することができます。またインフラは、人のメンテナンスなしに維持も向上も不可能です。そう考えると、道州制は、適切な人口規模で区分された自治体が分権的、自立的に環境適応をするための一つのアイデアです。経験的に、サイズは1000万人が適切だろうと言われていますが、これはおそらく都市のサイズを暗示しているのだろうと思います。というのは、ある国の人間の価値が上昇し、通貨の価値が高くなると、競争力のある産業が比較優位で絞られてきます。日本で言えば自動車産業などが強くなり、他の産業は衰退するでしょう。そして自動車産業の稼ぎをサービス産業等で全国民に行き届くようにしなくてはならなくなります。難しい課題ですが、これを可能にするのは、都市という多様なサービス業が成り立ちうる構造しかないように思われます。従って、道州制は主だった巨大都市を核に区割りされるべきなのだろうと思います。
では、残された都市以外の地域はどうなるのでしょうか?何かを核にした交流人口を支えにして、サービス業を成り立たせるしかないでしょう。それは観光や大学などの、人が特定の目的のために集まってくる場所です。さて、ここで道州制の一つの分割を試みてみます。東京と名古屋という巨大都市があります。ここはそれぞれを中核に都市型の道州として分割が可能ではないでしょうか?では、その中間はどうなるのでしょうか?浜松は名古屋圏に属すとして、信州や甲府や静岡はどうなるのでしょうか?どちらに属するにも中途半端な位置にあり、山岳地帯が巨大都市の間にそびえています。そこで、これらの中間地帯は、伊豆・静岡・山梨・長野・富山あたりが一体となって、一つの道州を形成したらどうでしょうか?山崩れや地震などの自然災害も共通し、観光業が主要な産業であるという共通性もあります。このような共通の政策を進めることが可能な分割が、道州制の単位になるべきではないかと考えます。
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