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2008-06-13 00:00
オーストラリアと東アジア共同体の関係を考える
成田弘成
桜花学園大学教授
オーストラリアの新首相ケビン・ラッド氏が、6月8日から日本を訪問中だが、日本での評判はどのようなものだろうか。彼は、マンネリ化したハワード前首相から昨年11月政権を勝ち取った後、京都議定書への批准、難民政策パシフィック・ソリューションの破棄、先住民への歴史的謝罪、南太平洋地域及びアジアへの外遊による地域的関係の改善等々と、鮮やかな政治的手腕を披露している。やや後回しになった日本への訪問を、彼は「アジア太平洋共同体」の提案というお土産を持って乗り込んできたのである。私としては、ちょうど彼が新首相となった前後から何度かオーストラリアを訪れる機会を持ったので、オーストラリアと東アジア共同体との関係を考えてみたいと思っていた。
日本とオーストラリアは、東アジア共同体論をきっかけに、どのような形で真の文化的なパートナーとなりえるのだろうか。まずこのパートナーシップ構築には、2つの試金石があるように思える。1つは、新たな環境型マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)の提案をしたい。周知のように、1990年代に両国の技術・文化交流を目指したMFP構想があり、ある意味、文化摩擦の為に頓挫したことは記憶に新しい。環境問題に悩むオーストラリアを、今こそ日本の技術革新が救い、文化交流の為の場を創造すべきであろう。オーストラリア新首相は、日本車だけではなく、日本の人々と一緒にやっていくための、もっと直接的な企画を提案すべきではないだろうか。
2つ目は、共和制移行の問題である。これはオーストラリア国民の決定すべき事柄であるが、同国がアジアの一員を目指す時には、最も考え直さねばならない問題だろう。既にオーストラリアがアジア経済の中で重要な役割を果たしていることに異論を持つ者はいない。しかし、アイデンティティの面で、同国がアジアとの結びつきを深める時期は、一体いつからになるのだろうか。同国におけるアジア移民論争は、たとえハワード前首相の退陣でも続くことになるだろうから。
東アジア共同体論は、少なくとも、経済的な結びつきだけではなく、アジア的価値観の共有までも議論している構想である。あえて文化の側面から、日本とオーストラリアの関係の再構築への道を考えてみる必要があるだろう。ラッド首相の新提案「アジア太平洋共同体」構想は、外交戦略的で、かつ多地域間の包括的な内容を含むものなので、改めて考察してみたい。
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