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2008-06-03 00:00
共同体意識とイデオロギーの超克
李 鋼哲
北陸大学教授
近年「東アジア共同体」議論が域内諸国で盛り上がっている。日本は数年前までは「東アジア共同体」論議がかつての「大東亜共栄圏」を連想させると言って、ほとんどタブー視されていたが、ここ数年間は賛否両論はあるものの、議論が急速に広まっている。否定的な論調のなかで代表的なのは、価値観論争であろう。つまり、価値観を共有できない隣国とは共同体を創ることは不可能であり、また創るべきではないとの論者が少なからずいるのだ。それは恐らくイデオロギー的論点であり、とりわけ冷戦的なイデオロギーから思考が前進していない議論だと思われる。
東アジアで共同体ができるかできないかは別として、そのような議論が活発になることにより、東アジアの人々の間に、共同体意識が漸進的に芽生えてくると見てよかろう。それでは、そもそも共同体意識はどこから生まれるのか。それは共通の危機や脅威があってこそ生まれるものだ、と筆者は考えている。EUが誕生したのも、ドイツとフランスをはじめとする域内諸国の戦争の脅威からの解放、および旧ソ連の軍事的脅威と米国の覇権的「脅威」が手助けしたのではないか。60年代のASEANの結束も、近隣の共産圏の脅威、冷戦後では周辺大国からの脅威に対して、共通の危機意識が生まれたからに他ならない。東アジアで共同体意識が90年代後半から芽生えはじめたのは、アジア通貨・金融危機があったからであり、アングロ・サクソン資本に対して脅威を共感したからである。
したがって、共同体意識は、弱い国、民族、集団においてほど、強くなりがちだ。ヨーロッパ諸国は米国や旧ソ連に対しては弱い国々であった。ASEAN諸国も弱い国々の集まりである。東北アジア地域では、韓国をはじめ朝鮮民族の共同体意識がもっとも強いのは、歴史的にも現実的にも周辺の4大国に振り回された弱小民族だったからではなかろうか。かつて欧米列強が東アジアを襲った時に、日本でも共同体意識が強く、清朝や朝鮮と連携して西洋に対抗しようという思想の持ち主が多かったのではないか。それが方向を迷って、結果的には歪んだ形で「大東亜共栄圏」を生み出し、日本の失敗を招いたのだ。
共同体意識はイデオロギーを越えてあり得る。ASEAN諸国は文化の違い、民族の違い、宗教の違い、価値観の違いを乗り越えて、共産国や独裁国も加盟し、様々な問題を抱えながらも、2015年までに共同体の結成を目指す、と宣言を出したのである。それに比べると、隣の東北アジア諸国(とりわけ日中韓3国)では、漢字文化圏で共通の基盤を持っているし、宗教の違いもほとんどなく、市民交流では価値観の違いも次第に感じなくなりつつあるのではないか。平和と共存共栄、そして戦争をなくすということを大義名分にした「共同体」を目指し、その上で共同体意識を漸次に育むことで、価値観やイデオロギーの違いを超克できるのではないか。
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