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2008-04-30 00:00
東アジア共同体は「運動」であることに意義がある
亀山 良太
自営業
私は「東アジア共同体は実現可能か」と問われれば、即座に「不可能」と答える。たとえば、通貨政策ひとつをとっても、成熟した日本経済と成長過程にある中国経済が、中央銀行をひとつにして、同じ通貨政策をとれるはずがない。紛争問題など不可能な理由は、いくらでもあげることができる。「FTA拡大などを足元からやれば、それでいいではないか」という考えが、現実的であろう。
このように、東アジア共同体が実現する姿をまったくイメージできないのだが、だからといって「東アジア共同体評議会」の意義を否定するつもりはない。というのは、放置しておけば、東アジア共同体は、中国によって彼らの覇権主義に利用される可能性が大きいからだ。そのリーダーシップの一翼を日本が強力に担うことによって、中国の覇権主義にブレーキをかけなければならない。
さらに、いささか妄想気味かもしれないが、共同体に中国を組み入れることにより、異なる価値観の、そして人権問題をかかえる中国を、共同体の旗のもとに矯正できる可能性を秘めているとも考えられる。「東アジア共同体は是か非か」という議論は、「実現」した場合の成果で語られることが多いが、その過程で何が起こり、何をするかの方が大切で、それによって当初想定したゴールが誰も予想しなかった地点にたどり着くことも期待されるのである。
つまり、東アジア共同体は、それが「運動」であることにこそ意義があるのであり、このような視点で考えれば「東アジア共同体評議会」は、東アジア共同体の「実現」を目的としているか否かに関わらず、より大きな役目と責任を引き受けていることになる。昨今、東アジア共同体という話題がメディアに登場する機会が少なくなってきているのが残念だが、「運動」の重要性はより増しているのである。
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