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2008-04-22 00:00
織田・豊臣時代を目指そう!再論
細川大輔
大阪経済大学教授
2月20日付けで筆者が本欄「百家争鳴」に投稿した「織田・豊臣時代を目指そう」(505号)に若干の反響を頂いたので、さらに敷衍したい。戴いたコメントのひとつに、「織田・豊臣時代の日本の精神風土は他のアジア諸国のそれとよく似ていた」との筆者の言説について、それはどのように証明されるのか、というものがあった。
歴史における事象の証明は、もとより容易ではない。ただ、筆者は、次のように説明できるのではないか、と思う。それは日本におけるキリスト教の布教に関係している。いうまでもなく、キリスト教の日本伝来は、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1549年に来日したときに始まる。注目すべきは、その布教のスピードと規模である。40年後の1587年には信者20万人、教会数200といわれている。また、よく知られているように、キリスト教に改宗したキリシタン大名が、全国に数多く存在した。交易による利益目当ての改宗もあったろうが、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のように洗礼を受けた大名も多かったのである。
新しい宗教、文化が当時の日本にこれほどあざやかに受入れられたのは、どうしてであろうか。また明治以降、キリスト教の布教が自由になったにもかかわらず、信者はそれほど増えていない(現在約100万人とされ、年々減少している)。また、他のアジア諸国ではキリスト教徒が人口の約2割を占めるのに対して、日本のキリスト教徒の割合が特に低い(1%以下)のは、どうしてであろうか。
歴史家でもない筆者が答える危険を承知しつつ述べるならば、当時の日本人の精神風土がいまより自由で柔軟性に富むものだったから、ではないか。また、教育の普及が進んでいなかったこととも、たぶん関係していよう。徳川幕府によるキリシタン禁制後は、儒教倫理を基礎にした統治と文教政策が進められ、現在われわれが認識している日本的精神風土が全国津々浦々に浸透していったのである。日本人は儒教的倫理のよろいを身に着けたといえる。明治維新後、昭和に至るも、この精神的基盤は維持された。むしろ儒教的精神を基礎にして西洋文化を翻訳し、自らの血と肉にしてきたと言えよう。これこそ敗戦の不幸にまみれながらも、戦後日本が成功した源であったと考える。
ところが、1990年代以降、成長のパラダイムが変化し、グローバル化が進展すると、日本人の閉鎖的で安定志向の精神風土が、さまざまな意味で日本人にとって有害な障害となってきたように思われる。競争をきらい平等を好む。自己主張が苦手で、議論を避け、異質のものを排除したがる。このような風土は、「東アジア共同体」をリードしようとする国の国民性としては不適当である。われわれは、再び織田・豊臣時代の時代精神に学ぶべきではないだろうか。
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