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2008-03-26 00:00
「民族問題」と共同体構築
滝田賢治
中央大学教授
長らく封印されてきたチベット問題が火を噴いた。1950年代初頭、中国による「チベット解放」以来、時には中印国境紛争とも連動しながら、数度にわたって暴動が起こったものの鎮圧され、長らく「安定」してきた地域であった。とくに胡錦濤政権が成立してからは、「平和台頭論」に基づき中印両国がデタントのプロセスに入り――中国軍が中印国境の問題地域に侵入したものの、インド政府は静観の態度を取っているという報道もあるが――高速鉄道が開通して内外の観光客が激増している中での「暴動」であったため、世界に衝撃を与えている。ほぼ時を同じくして、コソヴォが一方的に独立を宣言し、アメリカやEU諸国――国内に民族分離運動を抱えるスペイン、キプロス、ルーマニアを除き――がこれを支持しているため、ロシアやセルビアとの間に緊張を引き起こしている。
リージョナリズムや共同体構築がますますグローバル・ガバナンスの一翼を担い始めた21世紀に、「歴史的宿痾」ともいうべき「民族問題」が依然今日的問題であることを、われわれに改めて認識させている。レーニンの「平和の布告」でも、W.ウィルソンの「14か条の平和原則」においても、新しい世界秩序形成の原理が民族自決であるべきことが高らかに宣言されていたが、第2次大戦後の国連創設に際しては、この原理は採用されなかった。世界には7千から1万の民族が存在するといわれ、ここに民族自決原則を適用すれば、絶えざる紛争と混乱が生じることは明らかであったからである。毛沢東も新中国建国に当たっては、民族自決原則を採用しなかった。否、採用できなかったのである。
1975年のヘルシンキ宣言は、第2次大戦終結後のヨーロッパの国境、領土問題の解決に当たっては、当事者間での平和的解決を強調している。民族自決はそれぞれの民族の抑えがたい衝動の現れであるとするならば、当事者間の平和的解決の鍵は、主権の形態を柔軟に考えること以外に考えられない。「国民国家」における支配的民族集団が古典的主権概念にこだわる限り、「心の中に抱かれた想像の共同体」としての「国民」は形成されず、「国民国家」という名の下で実質的には異民族支配を行う「帝国」となってしまう。ダライ・ラマ14世は、チベット亡命政府の中で一部からは反発を買いながらも「高度な自治」要求により中国政府と妥協しようとしてきたが、チベットの急速な漢民族化が今回の「暴動」の背景にあることは間違いない。
東アジアには中国やインドネシアばかりでなく、多くの「国民国家」が民族問題を抱えているが、民族自決の「衝動」を抑制し、この地域に安定的な共生の空間を構築していくためには、各民族あるいはエスニシティの独自性を尊重する「高度な自治権」や「連邦制」あるいは「主権の分有」「二重主権」という古典的主権の変容が不可欠であろう。
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