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2008-02-25 00:00
思慮に欠ける「価値観外交」
山下英次
大阪市立大学大学院教授
日米、オーストラリア、インド4カ国による価値観外交は、安倍晋三前政権時代に浮上し、2007年5月には、総勢43名からなる「価値観外交を推進する議員の会」までできたようであるが、こうした外交姿勢が、長期的にわが国の国益に適うかどうか甚だ疑問である。価値観外交は、リチャード・アーミテイジやマイケル・グリーンなどのジャパン・ハンドがこれまで日本政府にずっと勧めてきた政策ラインなのであろうが、元々の思想的背景は、ネオコンの「価値と利益の共有同盟」(Value & Interest Sharing Alliance)という考え方であろう。
先頃の南極海における日本の調査捕鯨船「第2勇新丸」に対する一連のオーストラリア政府、国際環境団体のグリーンピース(Greenpeace)や米環境団体のシー・シェパード(Sea Shepherd Conservation Society)、それにグリーンピースの船上から報道し続けたBBC(英国放送協会)の非常に一方的かつ攻撃的なやり方には、多くの日本人が憤慨したはずである。国際的合意に基づく日本の調査捕鯨を、あのような暴力的かつ人をおとしめるような極めて浅ましくも暴力的なやり方で妨害するのは決して許されるべきではない。ああした行動は、われわれの価値観とは明らかに異質なものである。日本は、アメリカやイギリスやオーストラリアとは、共通の価値観を持っているなどと、安易にステレオ・タイプに考えるべきではないことが証明された良い一例ではないだろうか。
2005年12月、東アジア・サミットの発足の際、日本は、いわば他のアジア諸国の反対を押し切る形でオセアニアの参加を実現させ、オーストラリアのハワード前政権はこれを大変多としたと言われている。今回のケヴィン・ラッド新政権の極めて敵対的な調査捕鯨への反対行動は、日本にとって、まさに「恩をあだで返されたような行動」の典型というべきではないだろうか。わが国は、欧米の価値観でステレオ・タイプ的に行動するのではなく、東洋的・日本的なものを含めて自分自身の価値観に自信に持ち、それをベースとして行動すべきである。いまの日本人の価値観は、国際社会のそれと大きく異なるところはない。特に、ヨーロッパ大陸諸国の価値観とは基本的にかなり近いのではないだろうか。アメリカ社会は、国際社会からみて多くの「異質性」を備えており、アメリカ的な価値観を国際社会のそれと同一視する必要はない。
今年1月14日、インドのシン首相が北京を訪問し、温家宝首相と首脳会談を行い、その後発表された「中印両国による21世紀のための共有ヴィジョン」と題する共同文書で、中国はインドの国連安保理常任理事国入りを支持した。翌日開催された胡錦涛主席との会談でもこのことが確認された。つい数年前まで両国はかなり強い敵対関係にあったことを考えると、これはまさに隔世の感がある。すなわち、インドが価値観外交なるものに与する可能性は皆無になったということである。このように、劇的に中印関係が変化したキー・ワードは、世界の多極化ということである。これを目指すということで、両国の利害は一致する。今回の共同文書にも、「両国は、国際関係の民主化の継続と多国間主義が今世紀の重要な目標であると信じる」と謳っている。ロシアもブラジルも、世界の多極化を望んでいることは明らかある。また、EUも、2003年12月安全保障戦略をまとめたが、これも、国際的な合意なしに一方的にイラク攻撃(2003年3月)をした米国の姿勢に強い危機感を感じ、世界の多極化を目指そうとしたものである。このように、EUとBRICs 4カ国がこぞって、米国の一極支配に異議を唱え、多極化を目指しているのである。わが国は、こうしたグローバル・ガヴァナンスにおける潮流変化を見誤ってはならない。
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