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2008-02-20 00:00
織田・豊臣時代を目指そう
細川大輔
大阪経済大学教授
今回はややファジーな話で恐縮である。現代はグローバリゼーションが急速に進む前代未聞の時代であると言われるが、果たしてそうか。古代の東アジアは、いまよりずっと一体化していたはずである。中国王朝を中心として、その影響は同心円状に広がっていた。奈良に中国風の大仏と大建築が存在することがその証拠である。
平安時代以降は大陸の(悪?)影響を受けないように、日本は事実上国を閉ざした。織田信長、豊臣秀吉の時代になり、西洋との出会いが始まる。この時代の人々は、現代日本人よりもっと自由で合理的・開放的で、進取の精神に溢れていたように見える。別の言い方をすれば、個人主義的、現実主義的であり、いわゆる日本人らしくない。むしろいまの中国や東南アジアの人たちの気質に近かったのではないだろうか。彼らは商業、貿易に精を出し、また積極的にアジアに進出した。その結果、国内では貨幣・商品経済が拡大し、アジア各地に日本人町を建設して、アジア大の貿易ネットワークを作っていた。
これが江戸時代の鎖国政策で崩壊するのである。日本は儒教倫理と農業を基礎に政治体制を固め、世界に比類のない平和で文化的な時代を経験する。ただし成長という概念のない、単純再生産の時代であった。時は巡って、日本は米国の軍艦と大砲で目を覚まされる。グローバル化への対応として、欧米化、近代化し、その結果として日本は膨張の時代を迎える。太平洋戦争で失敗するも、その後経済面、特に江戸時代からの儒教倫理と農業の伝統を活かし、モノづくりで成功する。
しかしながら、21世紀に入るもポスト工業化の日本のあるべき姿は見えてこない。一部の人たちは江戸時代の平和・文化主義に憧憬を寄せるが、そんな一国文化主義に戻れるのであろうか。また、国民の内向き傾向が大変気にかかる。筆者は、これからの日本は、江戸時代の伝統、遺産を乗り越え、個人中心で自由闊達な織田・豊臣時代を参考にすべきであると考える。
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