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2008-02-18 00:00
クライエンタリズムと東アジアの市民社会
首藤もと子
筑波大学教授
「東アジアの市民社会」論が研究課題として注目されるようになったのは、フィリピンを除くと1990年代以降のことである。その背景には、アジアの市民団体の国際的な連携活動が目に見えて増加したことがあるが、とくに1993年の世界人権会議(ウィーン)や95年の世界女性会議(北京)が、大きな転機になった。開発絡みで土地をめぐる紛争と環境破壊が加速したことや、90年代後半以降インターネット人口が急増したことも、東アジアの市民社会のネットワーク構築に貢献したのは明らかである。ただし、「アジアの市民社会」に関する議論は、いかにそれが欧米の学者の良く知られた言説や概念を次々と引用していても、なぜか説得力に乏しく、逆に、そうした欧米の市民社会論では「アジアの市民社会」は説明できないという立場から、アジアの土着的な市民社会論を強調する議論(イスラム団体と西欧社会という図式の議論もこれに含まれる)も不正確で不十分だと思われる。
これは、第1に、「市民社会」の定義の両義性による面がある。それは広義では、国家機構と私生活との間にある公共空間で展開される活動や相互関係を指すから、それによれば、アジアで主権国家が形成される以前から独自の基盤と大きな影響力をもって現在に至るイスラム団体やカトリック教会、出身地別同郷団体等も、すべてそれに含まれることになる。一方、狭義の「市民社会」は、国家から自律した個人から成る水平的な関係性を対象としている。そこには、市民権や市民意識が所与として内在している。
しかし、第2に、問題は定義だけではない。たとえば、フィリピンでは人権規範や社会正義に関する市民社会の活動は活発であり、この類の国際会議でフィリピンの団体が知的なリーダーシップを発揮することも少なくない。人権に関する法令や制度設計に関して、近隣諸国のみならず、モンゴル、南アジアや太平洋諸国からもモデルとしてフィリピンに学習に来たほどである。その一方で、同国の伝統的な権力エリート層による寡頭支配は依然として強く、公的制度の内側にあるのは、垂直的で従属的な伝統的支配関係である。また、民主的手続きの基本とされる選挙には、つねに相当の腐敗と暴力が伴う。腐敗で選出された政治家が腐敗した政治を行うのは、理解しやすいことである。フィリピンの政党名は便宜上のものにすぎず、政党の融合や消滅は実に容易に行われるという点を除けば、こうした選挙による近代的な政治的競合と伝統的なクライエンタリズムの並存は、フィリピンに限らず、バングラデシュやパキスタンにも相当に共通している。そこでは、市民社会の活動は現実にあるものの、堅固なクライエンタリズムの自己保存の力も、また現実である。こうした現実そのものに、目がくらむような非同時代性とも言うべき両義性がある。
こうしてみると、アジアの社会には、垂直的なクライエンタリズムと、改革志向の知的エリート層(彼らが上記の狭義の「市民社会」の核を構成している)と民主的制度化を受け入れるかどうかを実質的に決定する権力エリート層という異なる層があり、広義でいう「市民社会」はいずれの層の自律的組織をも包摂していると見るべきであろう。それは、クライエンタリズムや権威主義的な要素をも内包することになり、西欧社会でいう「市民社会」の概念とは確かに相容れない面があるが、アジアの「市民社会」像は、このようなグラデーションをふまえた視点が必要ではないかと思われる。
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