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2008-02-07 00:00
(連載)東アジア共同体と岡倉天心(1)
進藤榮一
筑波大学大学院名誉教授、国際アジア共同体学会代表
「西洋開化は・・・人身をして唯一箇の射利器機たらしむ。貧者はますます貧しく、富者はますます富み、一般の幸福を増加する能はざるなり」。天心が若きエリート文部官僚として草した日本美術擁護論の一節だ。「アジアは一つ」で始まる不朽の書『東洋の理想』を著す20年前のことである。その著作の少し前、1902年天心はインドで詩聖タゴールと邂逅。04年、日露戦争開戦の日に米国へ渡り、06年、茨城県五浦に日本美術院を移設する。鹿鳴館の欧化主義とヨーロッパ帝国主義の嵐が吹き止まない頃のことだ。あれから100年。今アジアの時代の到来する中で、再び天心の名がささやかれ、東アジア共同体とともに、アジア主義が語られ、その祖型に天心がすえられている。いったいなぜ今、天心なのか。21世紀にアジア主義とは何であり、何を目指すのか。
天心以来、100年の時空を超えてとらえ直した時、アジア主義の三つの波に気づく。まず日清、日露戦争を機に浮上した、天心から幸徳秋水、安重根や孫文らに至る第一の波。次いで満州事変以後、大東亜戦争で頂点に達した京都学派から北一輝、尾崎秀実、三木清や魯迅、ビハリー・ボースらに至る第二の波。そして冷戦後、アジア通貨危機をへて今日まで、マハティールや金大中、リークアンユーから中曽根康弘、森嶋通夫らに至る第三の波。東アジア共同体は、この波に照応する。そしてそれら三つの波から私たちは、これまでの常識と違う、もっと普遍的で、今日的なアジア主義像を見出し、その祖型が、天心の思想と行動に隠されていたのに気づく。
第一にそれが、単に日本固有の―時国粋主義に転じたイズムであっただけでなく、仏教と儒教を軸に東洋の「協和の精神」を共通の絆にした中国や韓国からインドにまで通底する波であったこと。 「孔子の共同社会主義を持つ中国文明とヴェーダの個人主義を持つインド文明が・・・すべてのアジア民族に共通の思想的遺産である」と語る天心の言葉は、「西洋の覇道」でなく「東洋の王道」に拠るべしと説いた孫文の言葉と重なる。
第二にそれが、美や文化を語るイズムだっただけでなく、政治経済や外交に及ぶ、射程の長い波であったこと。冒頭の日本美術擁護論から私たちは、カジノ・グローバリズム批判を読み込むこともできる。あるいは、戦火で荒廃した仏クリューニー修道院を訪れた若き日の日記に、「地球は腐った林檎に似る。その皮はしなび、芯は腐敗している」と記し、西欧流の軍事主義と物質主義への批判を見せる。それが、共生と調和を説く後年の天心を彷彿させ、アジア投資銀行を語る安重根の構想と重なる。
第三に、単に民族解放や反帝国主義の閉ざされたイズムに止まることなく、東洋の普遍的な独自性を世界に発信し、西洋との文明の対話を実践した、グローバル化に開かれた波を志向していたこと。横浜貿易商の子として国語より先に英語に習熟した天心は、「ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱である」と説き、ベンガル独立の志士らに檄を飛ばしながら、同時にボストン美術館中国日本部長として年の半分を米国で暮らし、東西交流の使徒たらんとしていた。その時私たちは、天心に昇華した汎アジア主義を次のように定義し直すことができる。(『朝日新聞』2008年1月21日、朝刊「オピニオン」欄掲載拙稿に加筆修正)(つづく)
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