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2007-09-20 00:00
クーデターで揺らぎ始めたタイ政治のタブー構造
大江志伸
読売新聞論説委員
「元首で国軍の元帥」たる国王は、「崇敬される地位にあり、何人も侵すことはできない」。タイ憲法がこう規定する国王、王室に対する批判は、不敬罪の対象となる。19世紀のタイ王室を舞台にしたユル・ブリンナー主演の米映画『王様と私』(1956年公開)は「国王の描き方が不適切だ」とされ、タイ国内で上映されたことはない。2002年には、王室批判記事を書いた香港の記者2人が国外退去処分となった。翌2003年には、当時69歳の日本人男性が2000年に出版した日本語の本で王妃や王子に批判的な記述があり、不敬罪で懲役1年6月の執行猶予付き判決を受けた、との報道もあった。タイ国内のメディアは言うまでもなく、「言論の自由」に関しては原理主義的な反応を示す欧米メディアでさえ、バンコクから発信する王室報道には慎重を期す。バンコク駐在時の私も例外ではなかった。王室を囲む「タブーの壁」は、つい最近まで厚く、高かった。
その「タブーの壁」が2006年9月19日のクーデター以後、低くなってきた。史上最強の政権を率いて自身が「君主化」したタクシン前首相の追放劇は、「最低限、プミポン国王の暗黙の了解なしにはあり得なかった」との認識がタイ内外で広く共有され、王権問題に踏み込まざるを得ない状況になったからだ。実例を紹介しよう。読売新聞の場合、クーデター直後の2006年9月22日付の解説記事は、タクシン氏の「国王への不敬」がクーデターの引き金となったとし、「タクシン氏は越えてはならない一線を越えた」と断じている。クーデターから1年を経た最近の記事では、8月27日付の国際面コラム「ワールド・ビュー」の「『国王よりタクシン』の理由」には、次のような一節がある。「ある知識人はイサーン(東北地方)で出会った農民たちから『プミポン国王よりタクシンを敬愛する。タクシンは我々に金を与えてくれる』と打ち明けられ、衝撃を受けた。慈愛に満ち、神のようにあがめられる在位60年の国王さえ、イサーンではタクシン人気に及ばない」。
つい数年前なら、記事化をためらう内容だったのではないだろうか。だが、「不敬罪」を意識して婉曲な表現に頼っていたのでは、現在のタイの政変劇の核心は伝わるまい。民政移管に向けた12月23日の総選挙で、タクシン派は復権の足がかりをつかめるのか。軍部はどう出るのか。選挙前に80歳となるプミポン国王に従来のように治世の最終判断を頼ることができるのか。そして、中長期的にタイ王制はどうあるべきなのか。タイの未来は、「タブーの壁」越しでは見えてこない。日本を含む各国メディアのタイ報道の今後の健闘を期待したい。
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