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2024-11-10 00:00
「強さによる平和」の意味を変えた使用は賢明ではない
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
ウクライナのゼレンスキー大統領が、「peace through strength(強さによる平和)」をトランプ次期米国大統領が語っているのを強調している。ウクライナは、トランプ氏が唱える早期の停戦を受け入れない、という主張と合わせて行っている。どうやら、アメリカはロシアを駆逐する力を見せるべきだ、ウクライナがその力を発揮するまで戦争継続を支援するべきだ、という意味で、言っているらしい。ゼレンスキー大統領は、冷戦の終焉を導いたロナルド・レーガン氏も参照して、強いアメリカを取り戻すべきだと、と主張している。率直に言って、違和感が残る。レーガン氏は、ソ連の崩壊を導いたというイメージが強いだけに、ゼレンスキー大統領のお好みだろう。確かに二期に渡る大軍拡を主導して、「強さによる平和」を体現した。だがそのレーガン氏は、実際には自らの任期中にアメリカに戦争をさせなかった人物だ。1982年にレバノンの平和維持軍にアメリカ海軍・海兵隊を派遣したが、翌年の自爆トラック攻撃で241人の海兵隊員が死亡すると、翌1984年にはレバノンから海兵隊を撤退させた。
「強さによる平和」とは、平時に圧倒的な力を備えておくと、敵が恐れて攻撃を控えるので、平和が保たれる、というのが基本的な意味である。抑止に関するモットーだと言ってよい。トランプ氏も、第一期に軍拡を進めながら、戦争を行わなかったことを誇っている。レーガンにならった「強さによる平和」を実施したのが、自分だ、という主張である。アフガニスタンから完全撤退するための合意をタリバンとの間で結んだのも、トランプ氏であった。これに対してバイデン=ハリス政権は、泥沼の戦争にはまり込んで資源を浪費したり、稚拙な撤退をして避けることができた犠牲を出したりしてきた、とトランプ氏は批判している。この批判の流れにそって、ロシア・ウクライナ戦争の停戦を実現する、と主張している。ゼレンスキー大統領が語る「強さによる平和」は、トランプ氏が言っている「強さによる平和」の真逆と言ってもいい意味である。
もしウクライナが十分に強かったら、2022年のロシアの全面侵攻は起こらなかった。もしウクライナを守る意図を持つアメリカが、外交面も含めて、十分に強かったら、ロシアの全面侵攻は起こらなかった。トランプ氏は、このように主張している。ゼレンスキー大統領のウクライナも、バイデン大統領のアメリカも、弱かった。そのため全面侵攻が起こった。トランプ氏は、このように主張している。トランプ氏の観点から言えば、クライナが、クルスク侵攻作戦の後に特に急速なロシア軍の支配地域拡大を許しているウクライナが、「アメリカの支援でいつか強くなりたい、いつか強くなってロシアを打ち負かしたい(・・・今は負けているが)、だからいつか勝てる日が来るまで戦争を続けたい」と懇願するのは、弱いからである。もしトランプ氏のアメリカが「強さ」を取り戻したアメリカなら、ロシアのさらなる進撃を止めるだろう。抑止して、停戦を導き出すだろう。それがトランプ氏の語る「強さによる平和」である。
「強さによる平和」の原語であるラテン語の「Si vis pacem, para bellum」という表現は、圧倒的な覇権を誇って、どの勢力からの挑戦も受け付けなかったローマ帝国を描写した言葉である。アメリカの歴史では、初代大統領ジョージ・ワシントンが、「強さによる平和」を訴えたうえで、ヨーロッパ列強との関係を断つ「相互錯綜関係回避原則」(日本の学校教科書で「孤立主義」として教えられている外交政策)を国是にしたと理解されている。終わりの見えない欧州の戦争に深く関わることは、ワシントンの教えの真逆の政策であり、アメリカの歴史に刻まれた「強さによる平和」の思想から導き出される態度とは言えない。ゼレンスキー大統領は、コメディアンであった経歴を活かし、言葉を巧みに使うという評判がある。歴史的明言の引用なども好む。だがアメリカの歴史に深く刻まれた格言を、異なる意味で我田引水的に使っていく態度は、賢明とは言えない。パロディーのような扱いをするべき格言ではない。そのような態度は、トランプ氏の態度を硬化させるだけの結果しか招かないと思われる。
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