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2024-10-23 00:00
(連載2)初のG7国防相会合が見せる「二重基準」
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
このG7防衛相会合共同宣言では、冒頭から国連憲章の原則を遵守することの重要性が強調され、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」への挑戦を許さない、といったことが書かれている。つまり国際法に挑戦している勢力として名指しでイラン、ハマス、ヒズボラ、フーシー派、などが、非難の対象とされている。しかしイスラエルの名は非難対象ではない。ただイスラエルの安全が保障されなければならない、と語られるだけである。
ガザ危機をめぐっては、国際刑事裁判所(ICC)検察官が、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相の逮捕状請求を行ったことを発表している(ハマス指導者にも逮捕状請求がなされたが、対象者は全員イスラエルによって殺害されている)。それだけではない。国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルの行為に対するジェノサイド条約の適用可能性をふまえて軍事行動停止の仮保全措置命令を出している。またパレスチナ占領地の違法な存在をめぐって、即時の撤退を要請する勧告的意見を発出している。国連憲章にのっとった国際法によって裏付けられている最高権威が、イスラエルの行動を問題視し、軍事行動の停止のみならず占領地からの撤退を求めているのである。ところがイスラエルは、これらを全て真っ向から否定して無視する態度を公に表明している。そして国連憲章を中心とした国際法の遵守を謳うG7は、イスラエルの敵だけを非難し、イスラエルは非難せず、ただ防御対象であることだけを強調している。こうしたあからさまな国際法の権威を形骸化させる「二重基準」の態度によって、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」なるものは有名無実化してしまっている。全く説得力がない。
恐らくは今後、さらなる外部からの挑戦者に直面していくだけではない。NATOやEU加盟国内の懐疑派諸国の無関心や、それぞれの国の中の懐疑派の突き上げにもあっていくだろう。前途多難である。果たして、このようなG7諸国の自家撞着的な世界観にそった共同声明をあらためて発してみせることに、何か意味はあるのだろうか。にわかにはつかみきれない気がする。米欧諸国は今、世界経済におけるシェアを減退させ続け、人種差別的な二重基準を批判され続けながら、準同盟国であるイスラエルなどに武器を提供し続けている。ここでなお米欧諸国中心主義的な世界観を強調してみせることに、果たして外交的な意味がどれくらいあるのか、つかめない気がする。日本では、NATOと接近するのは良いこと、G7諸国と仲良くするのは良いこと、いずれにせよアメリカと歩調を合わせるのは良いこと、と無批判で仮定する風潮が根強く存在する。その方向性で、欧州や中東に対する政策的態度を決めている様子がある。
国際情勢を上手く統御できていないアメリカを初めとする他のG7諸国も、たとえ国力を急速に衰えさせ続けている日本であっても、積極的な安全保障政策の領域への参入は歓迎する雰囲気だ。もっともそれは、米欧諸国が切り盛りしている既存の政策プラットフォームに日本が入ってくる、という前提の話であり、日本が独自に「アジア版NATO」の創設を提唱する、といったことは、受け入れられない。直近では、こうした情勢の中で、日本の石破首相の外交政策のあり方が問われてくる。中期的には、米欧諸国主導の安全保障協議・実施体制に一方的に吸収されていく政策的態度の妥当性が問われる。最も根源的に、長期的には、米欧諸国主導の政策フォーラムが、その存在価値を維持していけるのかどうかが、問われていくだろう。(おわり)
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