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2024-10-03 00:00
日本の「女性問題」政策の盲点
渡邊 結南
早稲田大学国際教養学部学生
女性にとって、政治とは何を意味するものだろうか。政治と女性という2語から、いくつか関連するトピックを思い浮かべていただきたい。自民党総裁選が記憶に新しい今、女性政治家の躍進や子育て支援の推進、あるいは災害対策における女性の視点の導入がその2語の交点に感じられるかもしれない。一見すると、女性にとって政治とは、それらのトピックの実現を要望する宛先のようである。しかしここで一度立ち止まっていただきたい。“政治にとっての女性”が、上述のような女性にとっての政治にすり替えられている可能性はないだろうか。この二者の混同を避けて両者がそれぞれ意味するものを明らかにすることは、政治を政治のために完結させることのない民主主義の根幹的価値観の輪郭を再掲示し、日本の政治が新総裁をもって襟を正して再出航するために、今一度思索する価値のあるテーマであると考える。
今月上旬、政治と女性の繋がりに関する興味深いデータがアメリカで発表された。アメリカの世論研究所GALLUPが実施した若年女性有権者の政治的指向についての調査によると、2007年には28%だったリベラル派であることを自認する18~29歳の女性が、トランプ-バイデン政権を経て2024年までに41%に増加したという。さらに驚くべきは、リベラルと保守の二択において自身の政治性が相対的にリベラルに近いと答えた同世代の女性は87%に上ったという事実である。一方で、リベラルを自認する男性は過去20年間を通して概ね25%前後にとどまり、相対的にリベラルな男性は50%であった。一体アメリカ社会の何が、ジェネレーションX、ミレニアル、ジェネレーションZと呼ばれる世代の女性の「保守離れ」を加速させているのか。
アメリカ女性の政治への見方の変化のダイナミクスは以下の通りだ。若年女性のリベラル傾倒現象は、アメリカでの2015年の同性婚合法化やトランプ前大統領の政治家としての台頭を皮切りに、翌年のヒラリー・クリントン氏の初の女性としての民主党大統領候補推薦の獲得、2017年の#MeToo運動、2020年のパンデミックと大統領選挙戦や2022年のRoe V. Wade判決の逆転による中絶の憲法上の権利からの剥奪、そして2024年のトランプ氏の再推薦の時期と重なる。パンデミック下でのアジア人へのヘイトクライムやジョージフロイト事件は社会不安を扇動し、人種間の軋轢や銃規制に関する政治的な注目が高まるきっかけとなった。そこにソーシャル・メディアが若年層に対して政治について学んだり自身にとっての政治的な重要課題を認識したりする機会と場を与え、若者の政治への関心の高まりと連帯を容易にしてきた背景がある。最後にこれらのデータより、今回の選挙戦時期で若年女性が懸念を抱き、政治に解決を求めていると明らかになった課題は、上述の銃規制と人種差別への抵抗に加えて気候変動と中絶の権利であることが判明した。
海を挟んだ日本では、女性が関心をもつ政治的課題は何であろうか。アメリカと同様に、近年の若者の政治信条および女性の政党支持傾向から探りたい。まず日本では若者全体の右傾化が長らく指摘されており、2010年代における若年層の安倍内閣への支持率の高さ(2019年時点で18~29歳の男性のうち57%が支持)やネットを介した保守的な言説の隆盛がその論の拠り所となっている。日本の若年男性の政治的な最大の関心は将来の日本経済が老齢人口の増加によって押しつぶされる不安であり、それによる日本社会の閉塞感、所謂オワコン社会を生かされる無力感からの救済を政治に求めた結果が、具体的な経済対策を打ち立てる保守政党や、ポピュリズムを彷彿とさせるような新興政党及び政治家への支持として表れているのだろう。他方で国民の政治的信条に関する日本の調査に目を通して奇妙に感じられることがある。それはつまり、筆者の把握する範囲では女性の政党支持傾向や政治的関心のある問題が単独で明らかにされたデータが見当たらないことと、女性有権者の政治的な関心や政治信条にまつわる調査がもっぱら女性の政治参画のテーマに限定的であることである。これらのデータの欠落は、女性有権者票の獲得を意識したデータ分析に基づく効果的な政策の立案を政治家にとって困難にしているばかりか、そもそも実際に女性による支持を得られる「女性のための政策」を打ち立てることへの政界及び政治分析関連のアカデミア全体の関心が薄弱な現状を暴いているのではないだろうか。今年発表のジェンダーギャップ指数が示すように、日本は政治および経済分野における男女の共同参画において著しく遅れをとっている。政治を資金的及び組織的に支える経済界を回す主要な担い手が男性である日本社会においては「女性のための政策」が男性ウケをし、男性に支持されることが政党及び政治家にとって功を成すため、必然的に「女性」が数ある政治トピックの一つとして客体化される。こうして政治が女性の物語を男性相手に語りたい時、政治はもはや実社会の女性の真の政治的関心に耳を傾けることに必要性を見出してないのではないか。アメリカとは異なって女性の政治的関心を明らかにしないデータ分析の方法論は、女性有権者の声が不可視化される構造の再生産のサイクルにおける歯車の大きな一歯であるように、筆者には感じられるのだ。
実社会の女性たちを政治が造り上げた女性像に押し込めることで完成させる政策には、ほころびが出てきていると思う。例えば、総裁選でも議論が交わされた地方の人口維持対策として出産適齢期の女性の都市部への流出を抑制する施策に関しては、地方女性は経済や家族観の地方格差を受けて地方の開放的な風通しの良さや都市とのモビリティを希求しているが、その声が反映されずに地元愛の定着や結婚及び子育て支援などに取り組む地方自治体の施策には全体として現状では結果が伴っていない。また女性の視点からの防災に関しても、政治が真っ先に取り組んでいるのは国際社会の流れを意識した政府や自治体レベルでの災害関連政策の意思決定プロセスへの女性の参画であるが、能登被災地の女性は避難所おいて女性が現場のコミュニティ統括に携わることとその意義の理解の普及を望んでいることがわかっている。目的に囚われた一元的な観点からの解決を試みたり、トピック化された女性問題を体裁主義で片付けたりすることは、結果的に空回りし、頭打ちに合っているのである。
現状の抱える課題の多さと根深さに怯んでしまうかもしれないが、改善への道筋はそれほど複雑ではないと筆者は捉えている。政治には政治自身が認識すべきことがいくつかある。つまりそれは、政治が「女性問題」を語る時は政治が女性という社会的生き物がもたらしたごく一部の現象を取り上げ問題化させているため、政治による女性問題への見方は女性のそれらの問題への見方とは異なるということである。さらに女性問題解決のために必要な行動の主体はいつも女性であるため、政治は女性がその行動を起こす意思決定を行うための促進剤であり、決して意思決定の代理人ではないということも、政治は認識しなければならない。派閥解散を経た先の石破新内閣には、政治的な決断が政治内部のために下される土壌の払拭によって、政治が本当の意味で「人々のための政治」について考え、そのために求められる行動に出る柔軟さを期待したい。
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