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2024-03-15 00:00
赤根智子判事のICC所長就任で考える日本とICCの関係
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
3月11日、国際刑事裁判所(International Criminal Court: ICC)の新たな所長に、赤根智子判事が選出された。ICC所長職は、要職である。赤根所長のご活躍を心から祈念する。ただし、「日本人として初」といった伝え方で、ある種の祝賀ムードのようなものが日本国内で見られたような気がするのは、私の気のせいであったかどうか。ICC所長職は、大変に重たい職務である。日本政府は、すでに昨年から赤根所長の身辺警備に特段の要請をしてきている。緊張感を持ちながら、応援していきたい。ICCは特殊な国際裁判所で、検察部が並置されている。捜査対象の選定や訴追の決定にあたって果たす役割では、現在カリム・カーン氏が務めている主任検察官のほうが、裁判部よりも政治的には重たい。そうは言っても、赤根判事がロシアのプーチン大統領の訴追の判断に加わり、ロシアの連邦捜査委員会から報復措置として指名手配されたことからもわかるように、裁判部の役割も非常に重たいものであることは言うまでもない。しかも裁判官が就任する所長職は、ICC全体の長であるので、書記局という名称の事務局機構にも権限を行使し、外交官に対してもICC全体を代表して折衝をしていくことになる。本来は裁判所に政策があるということは簡単には言えないのだが、ICCのように各国政府の信任を維持しながら、高度に政治的な案件を扱っていく機構であれば、当然のこととして実態面での政策的領域がある。判事が就任する仕組みとなっているとはいえ、所長職は、二名の次長とともに、裁判部の機能を超えた重要性を発揮する職務であると言える。赤根判事は、齋賀富美子判事、尾崎久仁子判事に続いて、三人目の日本人ICC判事である。齋賀判事と尾崎判事が、外務省の外交官出身の判事であったのに対して、日本で検察官を長く務めた赤根判事は、初の法務省系の背景を持つICC判事である。
ICCは、日本の省庁では、外務省と法務省が、担当省庁として関与する仕組みがとられている。アメリカと中国がICCに加入していないため、GDP比率で分担金比率が決められるICCにおいて、日本は、2007年のICC加入以来、財政貢献一位の地位を占めてきた。18人の判事席の一つは、ほとんど指定席のようになっている。もちろん三名の歴代判事は、立派に職務を全うしてきている。ただ齋賀判事は、在任中に病気で亡くなる不幸に見舞われた。尾崎判事は、リトアニア大使に任命されて退職した際に、トラブルに見舞われた。継続審議中で非常勤判事として残ることになった事件の弁護人が兼務を理由に忌避申立てを行い、それによって裁判が遅延してしまったことを受けて、特命全権大使のほうを退任する出来事があった。その意味では、日本にとっては、赤根判事の所長就任への思いは強い。国際司法裁判所(ICJ)では、外務省出身の小和田恒判事を除けば、現職の岩沢雄二判事を含めた歴代の三名の日本人判事は、大学の学者である。国際海洋法裁判所も、歴代の日本人判事は、学者と外交官だ。実務で国際法を扱わない法務省系の人材にとっては、赤根判事は類まれな逸材であると言える。赤根判事は、第六代のICC裁判所長になる。前任者は、カナダ、韓国、アルゼンチン、ナイジェリア、ポーランドの出身者である。ICCは国際機関としてポストの地域配分に配慮をする。所長としての赤根判事を補佐する二名の次長は、欧州のイタリア出身の判事とアフリカのベナン出身の判事だが、異なる地域出身の判事三名で所長・次長二名を構成するパターンは、過去ほぼ一貫して踏襲されてきている。所長職は、地域ローテーションで、これまで欧州(西欧[北米で唯一の加盟国のカナダはこのグループに属する])、アジア、中南米、アフリカ、欧州(東欧)と回ってきていたので、今回の改選ではアジア出身者の所長就任が有力であった。ICCの124加盟国の中で、「アジア太平洋」グループに属する諸国は19しかなく、ほとんどが小国だ。18名の判事の中で「アジア太平洋」出身は、3名である。ただし残り二人は、すでに所長経験済の韓国の判事と、昨年末に選出されて判事に就任したばかりのモンゴル出身の判事だ。順当にいけば、赤根判事の就任が確実であった。赤根判事の判事就任は、2018年3月で、私がICCにVisiting Professionalの肩書をもらって出入りしていた時期の直後であった。すれ違いのようだが、赤根判事の極めて実直で学究的なお人柄は伺っている。過去6年間にわたりICC判事としての職務も、極めて堅実にこなしてきた。ただし、就任当初に、大きな試練があった。設立以来、アフリカ人ばかりを捜査しているとアフリカ諸国に糾弾され、アフリカからの加盟国の脱退騒ぎが起こっていた直後、当時のベンスーダ主任検察官は他の地域の犯罪捜査を矢継ぎ早に開始しようとした。その流れの中で、2017年11月、ベンスーダ主任検察官は、アフガニスタンの捜査の開始の許可を裁判部に要請した。
当時のアフガニスタンは、まだ戦争の真っただ中の状態であった。治安上の理由から、捜査は不可能と思われた。それを判断する辛い仕事にあたったのが、第二予審部を構成する三名の判事であった。めぐりあわせから、就任直後の赤根判事は、その一人となってしまっていた。そして2019年4月、赤根判事を含む第二予審部の三名の判事は、検察官のアフガニスタンにおける戦争犯罪の捜査の開始の許可の要請を、却下した。理由が、法律的には説明されたとは言えない。ICCには限られた資源しかない、といった表現で描写されただけであった。これに検察部だけでなく、設立からICCを応援してきたNGOなどが一斉に反発した。アメリカの政治圧力に屈したと糾弾する者なども現れた。赤根判事の名前は、ICC批判の文脈の中で頻繁に言及されることになった。辛い時期であったと言える。結局、約一年後の2020年5月、上訴審に移った審議の結果、検察官の要請は認められて、アフガニスタンは、ICCの正式な捜査対象となった。赤根判事を含む第二予審部の判断が、他の判事の決定によって、覆されたのである。その後、アフガニスタンでは、2021年8月にアフガニスタン共和国政府が崩壊し、タリバンが権力を奪取するという事態が起こった。本来は捜査対象であったタリバンが実効統治する体制になり、ICCの捜査は、いよいよ実態として不可能な状態になった。ICCのアフガニスタンに関する捜査が、ほぼ開店休業状態になっていることは、自明である。赤根判事ら第二予審部の判断は、裁判所としては政治的な事態に直面して妥協を強いられた辛いものだったが、実態としては現実に即したものであったことは否定できない。
今回の赤根判事の所長就任の機会に、こうしたICCの持つ特殊な性格とともに、重要な職務を全うしているその他の日本人職員にも注目が集まれば、とも思う。800人以上と言われるICC職員の中で、日本人職員は20人にも満たないと言われる。財政貢献15%に対して、職員数は約2%といった残念な状況だ。理由の一つは、国際裁判所で実務にあたる準備のある日本の法曹界の人材が不足していることではあるだろう。しかし実際には、書記局で政務系の分析をするセクションの長が日本人であることをふまえても、幅広い人材がICCでキャリアを磨くことができる可能性がある。現実に根差して、自然に幅広い視点で見ていくことが必要だ。
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