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2007-09-04 00:00
朝青龍騒動と「外交感覚」
櫻田淳
東洋学園大学准教授
1990年代末期、小渕恵三(当時、内閣総理大臣)執政期に展開された対外政策は、「海」の軸としての「太平洋フロンティア外交」構想と「陸」の軸としての「シルクロード外交」構想の二つの柱に支えられていた。「太平洋フロンティア外交」構想は、太平洋島嶼諸国との提携を模索し、具体的には「太平洋・島サミット」の定例化に結実した。また、「シルクロード外交」構想は、モンゴルや中央アジア諸国との提携の加速を中身にしていた。
特にモンゴルには、1989年に宇野宗佑(当時、外務大臣)、1991年に海部俊樹(当時、内閣総理大臣)が何れも西側先進主要国の閣僚・首脳としては初めて訪問した。それ以降、1999年の小渕の訪問は、自らの「シルクロード外交」構想を具体的な形に表わしたものであったし、その構想の企図は、2006年の小泉純一郎(当時、内閣総理大臣)の訪問にも継がれているといえよう。実際、モンゴルは、その地政的な位置という側面においても、鉱物資源を埋蔵する実利の側面においても、そして人的交流の実績や国民感情の近さという側面においても、日本にとっての重要度が誠に高い。
このモンゴルの位置に鑑みて懸念されるべきは、横綱・朝青龍に対する不用意な批判が現下の日本社会に喧しいことである。目下、朝青龍、白鵬の両横綱を筆頭にモンゴル出身力士総勢三十数名が、相撲の世界に身を置いているけれども、彼らはこの十数年の良好な日蒙関係を反映しているのである。朝青龍の横綱としての振る舞いが、従来の「常識」から逸脱するものであっても、朝青龍に対する日本社会の態度がモンゴル国民からも注視されているということは、留意されるべきことである。日本社会における「外交感覚」の定着の如何が問われているのである。
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