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2022-07-08 00:00
細分化した政治学諸理論を統合した大戦略が必要
古村 治彦
愛知大学国際問題研究所客員研究員
今回は少し難しい話になる。と言っても、「そんなことは当たり前ではないか」というテーマでもある。そして、「学者たちは物事をどんどん細かくしていって、かえって物事が見えなくなり、大きな理解ができなくなっているんだ」ということが分かってもらえる話になると思う。政治学という学問は大きなくくりであり、その中に様々な学問分野がある。方法論、比較政治、政治思想、日本政治やアメリカ政治など一国の国内政治、国際関係論といった分野が存在する。そして、それぞれの中でまた細分化がなされている。政治学の教授もしくは研究者というのは政治学全体のだいたいの知識は持っているが、当然のことながら、自分の専門を深く研究することになる。そうなると、たこつぼ的な状況が出てきてしまうのは仕方がない。医学を例にして考えてみても、内科から外科、泌尿器科、産婦人科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科などなど多岐にわたる。それぞれ全てを極めた医師は存在しない。
政治学には統合されたアプローチが必要という議論がある。これは理解できることであるが、非常に難しいことだ。政治学を含む社会科学の目的とは、社会で起きる様々な現象を分析し説明することから最終的には法則の発見であるが、これは大変に難しい。法則とは全ての環境で機能するもので、これが分かれば「予測」ができるということになるが、人間が絡む社会においてはそのような予測は難しい。統合されたアプローチは今のところ不可能である。
ただ、政治という人間の営為ということになればそうも言ってはいられない。国家を運営する、政策を立案し、実行するということになれば、諸理論に経験や知識をプラスして、「大戦略」を作らねばならない。専門家のような狭く深い見方ではなくても広さは気宇壮大なものであるべきだ。アメリカの外交政策や安全保障政策分野で考えてみると、弁護士や外交官として経験を積み、もしくは研究者として研究をしながら、抜擢されて国務次官補代理や国防次官補代理になって外交や安全保障の分野で経験と専門性を高め、評価を高めていくパターンが多い。そうした中で、専門性と知識と経験を高め、より多くの材料や要素を取り入れながら、また時には多くの材料を取捨選択しながら、政策を立案し、政策判断を下すということになる。
日本に「大戦略」があるだろうか。残念ながら見当たらない。場当たり的でかつアメリカの言いなりになっておけばよいという戦術が大戦略の代わりになっている。しかし、それではアメリカの衰退が進む中、羅針盤なしで航海をする船と同じになってしまう。つまり、日本はどこの港にも着けない船ということになる。
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