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2007-08-25 00:00
東アジア共同体と普遍的価値
福岡侑希
大学院生
東アジア共同体構築を考える際、その長期的課題の一つとして域内に「普遍的価値」をどのように根付かせるかという問題は避けて通ることができない。しかし現状をみれば、たとえば「民主主義」の捉え方ひとつとっても、東アジアでのコンセンサスが欠如していることは明白である。原則として「民主主義」の理念には賛同するとしても、その意味合いやそこへ至る道筋、すなわち民主化の具体的なあり方について画一的に捉えるのは控えるべきだとする議論も少なくない。また、西洋の「人権」に対し東洋の「人権」を区別する議論や、西欧的な民主主義とは違う、「アジアに根付いた民主主義」といった発想もしばしば聞かれる。これらの議論が具体的に何を意味するのかはあまり判然としない。「アジア的」という形容詞を付けただけで、どうとでも解釈のできる曖昧な概念は、今後の東アジア共同体構築の過程で、域内共通の価値観を形成していく上での有益な指標とはなり得ないだろう。
もっとも、その半面「民主主義」または「民主化」の定義や分析では、西欧での経験に基づいた一面的な議論が支配的となっていることもまた事実である。民主主義といえば、基本的には西欧的な「自由民主主義」を指し、そこに至る過程については、地域的な諸事情など関係なしに、たとえば、非民主国家の経済成長を助ければ必然的に「自由民主主義」へと移行するといった考え方はかなり浸透している印象をうける。しかし、西欧的な意味における「自由民主主義」を歴史の終着点と捉えるこのような議論では、東アジアにおけるさまざまな政治体制の「停滞」性や「反動」性をあげつらうには重宝するかもしれないが、現実に東アジアで現象化している政治変動について、何が実際に起こっているのか、またその向かう先はどこなのかという視点が欠如していることから、なんら生産性のない議論に終始しがちである。
東アジアにおける普遍的価値を考えるにあたり、グランド・スキームの演繹的な適用からはいったん離れ、帰納的に具体的な成果を集積することから共通の行動規範・指標を紡ぎ出すというアプローチは考えられないだろうか。この点について、先日参加したある国際シンポジウムでのインドネシア代表のパネリストの一言が印象的だった。彼曰く、「民主主義」の定義について合意が無いとしても、その「ボトムラインは、市民が国家の治安機構からの暴力、例えば強姦や拷問を受けない環境を作り出すことだ」という。「ボトムライン」を設定し、そのラインを下回らない環境の醸成に努めるという発想は、現在の東アジアにおける共通の価値観構築を進めるにあたって有効な手段といえよう。「多様性の中の統一」が求められる東アジアでの共同体構築にはそのような地道なしかし着実な手段が一番のぞましいのではないだろうか。
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