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2022-05-20 00:00
(連載1)対独戦勝記念日で見えたプーチンの「ナチ」観
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
5月9日は、旧ソ連がヒトラー率いるナチスドイツに勝った日であるという。プーチン大統領は、ゼレンスキー大統領を含め、ロシアに反抗する全てのウクライナ人をすべて「ネオナチ」と断じている。「対ナチス戦争」の戦勝記念日に「ネオナチとの戦争」をどのように表現するのかと、私は非常に興味深く思っていた。彼が、中国の習近平国家主席のような「自分は毛沢東を超える」といった野望をもつ人ならば、スターリンを超えるためにこの日に「ネオナチとの戦争に勝利した」と表現したかったであろう。
しかし、戦況は、そのようなことを言えるようなものではない。ゼレンスキー大統領がいるキーウに対する攻撃も断念している状態では勝利したとは言えまい。ウクライナ東部の占領はしているものの、ハリキウなどの都市では徐々に押し返され、また将校クラスに多数死者が出て、ゲラシモフ参謀総長も前線視察中に負傷しているという。
一つの考え方として「一方的な停戦をする」ということも考えられていた。ロシア軍の力があれば、クライナ東部で占領している地域を固定化してしまうということができると思われる体。しかし、その場合「マリウポリ」のような完全に支配できていない都市をどうするのかという悩みが出る。このような攻めあぐねる地域では、まだ抵抗している勢力があり、一方的に停戦しても砲声は止まず反攻を許すこととなってしまい、せっかくの土地を放棄することにつながる可能性があるのだ。そう考えると「勝利宣言」も「停戦宣言」もできないであろうから、そのような状態でプーチン大統領は何を語るべきか長く考えたことだろう。
様々な憶測が流れたプーチン大統領の演説であるが、当初5月9日にはウクライナ全土を掌握している予定であったということはたしかであろう。あわよくばモルドバやポーランドなども占領する希望的観測もあったが、いずれにせよ、プーチン大統領のそのような目論見は外れてしまい、ロシア人の期待とは異なる苦戦が伝えられている。このような演説の時に、予定通りいかなかったプーチン大統領はつらい。その責任は、様々な政府幹部の「更迭」によって取られるのであろう。(つづく)
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