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2022-04-01 00:00
ウクライナ侵攻を裏打ちする「集団的自衛権」
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
まるでウクライナの無辜の民が暮らす国に完全武装の軍隊を投入し、あまつさえ「核攻撃」までほのめかして脅迫するロシア軍のトップがプーチン大統領である。いまや、世界大半の人々や政府からダカツのごとく嫌われている悪のアイコンだ。筆者もまたこれらの人々と同じ気持ちである。しかし、彼の行状は一定のルールにのっとって行われていて、それなりの「合法性」が担保されている。いうところの「集団的自衛権」である。今回のプーチン軍のウクライナ侵攻の目的は、8年前に独立宣言をしたウクライナ東部の二つの州ドネツク州とルガンスク州にそれぞれ形成しておいた「ドネツク共和国」と「ルガンスク共和国」という二つの傀儡国家群があり、これらとプーチンのロシア国との間で形成した「集団的自衛権」を行使するという国連憲章が認める権利・義務に基づく「合法性(?)」だ。
どうみても二つの「国家」はプーチンロシアの傀儡国家としか見えないし、二つの「国家」の独立宣言はプーチン率いる数万・十数万の完全武装のロシア軍隊の威力を背景とした茶番であることを考えれば、この合法性を素直に認めるには躊躇しなくてはならない。しかし、今日までの顛末はこの集団的自衛権行使の合法性に依拠して、プーチン大統領一派の自作自演を錦の御旗として行われている。この理屈によって、今後どれほどの死者・負傷者が出るか想像もつかない。これこそが「集団的自衛権」で懸念されてきたことに他ならない。
翻って安倍首相(当時)は、まさに日米同盟というこの国の民がその形成について一度も訊ねられたことのない政治用語を駆使して、日米間にはいまや立派な「集団的自衛権」が設定されている、米国の要請が有ればこれに協力する根拠となっている、という。集団的自衛権が行使されるのは核戦争のときかもしれない。日本国には国家間の問題を解決する手段としての「戦争」が日本国憲法によって禁じられているとはいえ、自らが国際間の条約として「集団的自衛権」を設定したのである以上、信義の問題として関わらないということにはならない。いま、世界が同情のまなざしで見ているウクライナの「悲劇」は、まさにこのプーチンが措定した似非「同盟」関係が傀儡2「国」の自衛権と、2「国」およびロシア間の「集団的自衛権」行使なるものによって裏打ちされた合法的軍事力(中身は巨大ロシア軍)によって日々大量の犠牲者を輩出しているのである。
こういう国際間の便宜は今やこの地球上での常識でもあって、逆に言えば、プーチン大統領もこの自作の集団的自衛権によって「特別軍事作戦」なるウクライナ侵攻を完遂することなくやめることは義務の放棄と言えなくもなく、見ようによって策士が策におぼれていると言えなくもないのである。今眼前に展開しているこういう「権利と義務の『矛盾』」について、ウクライナ共和国の悲劇を見るにつけ、我がコトに引きつけてもう一度考えなおす必要がある。
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