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2022-03-27 00:00
(連載2)ウクライナ危機をめぐる日本人の紋切り型の世界観
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
紋切り型の第四は、「人間には誰でも欠点はある」論である。鈴木宗男議員が、「ウクライナにも責任はある、喧嘩両成敗がよい」といったことを国会で発言して、話題になった。「清濁併せ呑む」「長いものに巻かれろ」「見ざる聞かざる言わざる」・・・、なんでもいいが、弱者が強者に屈服しさえすれば、問題は解決し、世界は平和になる、という思想は、日本社会に根深い。その紋切り型の思考から導き出される結論を強引に正当化するために、「ウクライナ人の全員が聖人君子だというわけではない」といった話を持ち出すので、厄介である。百歩譲って、日本社会の中だけであれば、「いじめられる方も悪い」と呟いて事なかれ主義を貫くこともできるかもしれない。だが、国際社会でそれをやったら、日本は孤立する。
紋切り型の第五は、「紛争当事者の一方に肩入れしてはいけない、中立が常に一番正しい」という思想である。鳥越俊太郎氏らが、ゼレンスキー大統領の国会演説に反対するために、中立こそが常に絶対善、といった議論を展開して話題になった。端的な事実として、日本政府は、はっきりとロシアの違法行為を非難し、ウクライナを支援しているので、今さら国会演説だけ拒絶しても、中立的などにはならない。ただ問題が根深いのは、「中立こそが常に正しい」という思想が、憲法学者独裁主義体制下の日本の学校教育を通じて、日本のテレビのお茶の間視聴者の間に深くはびこっていることである。
実際には、日本国憲法も国連憲章も「正義(justice)」を追求し、そのために日本社会/国際社会全体が標榜すべき目的や原則も明らかにしている。それを一気にひっくり返して、「どれだけ悪い奴が原則や規則を蹂躙しようとも、とにかく常に中立を心掛けることだけが絶対的な善だ」と主張してみせるのは、反憲法的・反国際法的な困った態度である。
確かに司法試験受験生・公務員試験受験生がバイブルとして信奉しなければならず、学校教育もその前提で信奉してしまっている思想の源と言える芦部信喜『憲法』を見ると、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」という憲法の文言に強引な解釈を施して、「公正だから非武装中立でなければならない」といった主張がなされているのを見ることができる。しかしこの憲法前文に登場する「公正」は、もともとは「justice」であり、憲法9条冒頭に登場する「正義」と同じである。「平和を愛する諸国民」とは、大西洋憲章や国連憲章を見れば、連合国や国連加盟国を指すことが明らかである。つまり日本国憲法は、国際法に従った正義を追求することを宣言しているのである。芦部信喜ら憲法学者たちがイデオロギー的立場にそって陰謀論のような話を広めただけなのである。この話は、私にとっては何度も書いてきたことではある。だが、ウクライナ危機に対する日本のタレント層の反応などを見ると、問題の根深い深刻さに、あらためて嘆息せざるをえない。(おわり)
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