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2022-03-15 00:00
半世紀前の「チェコ事件」を想起させるロシアの暴挙
飯島 一孝
ジャーナリスト
ロシアのウクライナ侵攻は、今やロシア軍によってウクライナ人が皆殺しにでもされかねない事態に至っている。学生時代にロシア語を学び、ロシア語を使って30年前、ソ連解体を毎日新聞特派員として報道した一人として残念としか言いようがない。この事態を前にして思い出すのは、約50年前に「プラハの春」に沸き立つチェコに、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の軍隊が進攻し、民衆の声を戦車で弾圧した「チェコ事件」である。
この事件は1968年4月、チェコスロバキア共産党のドプチェク第一書記を中心に自由化が進み、「党の権威を押し付けてはならない」とする<党行動綱領>が採択された。特に注目を集めたのは、自由化推進を要求する知識人・青年の「2000語宣言」が発表され、自由化が国民レベルにまで広がったことだ。この事態を危惧したソ連のブレジネフ政権は6月、チェコ領内でワルシャワ条約機構による軍事演習を実施。8月には軍事介入して自由化を力で押しつぶした。当時、私は東京外語大に入学したばかりだったが、ロシア文学者の原卓也先生(その後、学長に就任)らがロシア語やロシア文学研究者に呼びかけ、ソ連政府に対する抗議声明を発表したことをよく覚えている。当時はまだ、改革派のゴルバチョフらが登場する前で、外国の研究者がそろってソ連への抗議声明を出すことは勇気のいることだったと思う。だが、この事件と同じ頃、全国的に学園闘争が広がり、東外大でも全共闘が結成されて学園闘争が始まり、原先生らもこれへの対応に追われることになった。
東京外語大の自治会では民青が主導権を握っていたが、その後、全共闘が主導権を奪い、全学ストを打つなど、学生運動は過激になっていった。その過程で原先生らは大学執行部の強硬な対応に抵抗し、辞表を提出する事態になった。この経緯については『東京外国語大学史』(2000年発行)に掲載された原先生の「辞表を書いたころ」に詳しい。この学園闘争は結局、翌年4月の機動隊導入で終局に向かうことになった。
今回のロシアの暴挙に対し、東京外語大の先生らがロシアへの批判声明を出しており、私もOBの一人として賛同する。だが、今回のプーチン政権の対応は、半世紀前のチェコ事件を想起させるどころか、それ以上の過酷さで目を覆いたくなる。このままでは、世界を破滅に追い込む危険性すら感じられる。今こそ、米国や欧州諸国だけでなく、日本を含む国際社会が一致してプーチン政権を厳しく批判し、1日も早く戦闘を停止させなければならない。
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