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2022-02-25 00:00
(連載2)ウクライナ侵攻で痛感する「力」と「戦う覚悟」
荒木 和博
特定失踪者問題調査会代表
自分たちは紛争予防のために何もせず、国内に向けてだけ戦争反対を唱えるようなアプローチは、実際には戦争を望む者に加担しているのと同じです。もちろん「平和」憲法が平和を守ってくれるわけではありません。しかし、日本という国は、国防を米国に依存し、その代わりに自国の主導権を握らせるというやり方で、まがりなりにも77年間かりそめの平和を守ってこれてしまいました。このような安全保障の考え方だから、拉致問題で北朝鮮にやりたい放題されて、多くの被害者を未だ帰国させることができないのです。そんな北朝鮮も強い国には実は何もできないのです。日本に安全保障上の確固たる意志がありそれを決然と示すことができていれば、そもそも北朝鮮は日本人を返さないどころか拉致をすること自体しなかったでしょう。「専守防衛」「米軍が矛、自衛隊が盾」「日米安保はアジアの公共財」といった言葉でどう繕おうと現実は現実です。
1990年代の初め、冷戦が終わったとき、私自身もそうでしたが、多くの人が「これでとりあえず理性が支配する世界ができたのではないか」と淡い期待を持ちました。なんだかんだ言ってもロシアは民主化するだろうし、中国も国際的なルールの中で行動するようになるだろう、米国の圧倒的優位は当分続くだろう…。全ての期待は裏切られた、というよりもともと虚構だったのでしょう。その虚構の中でわが国は米国に安全保障の根幹を依存しながら、北朝鮮に対しては最終的な目標を国交正常化に置いて、拉致・核・ミサイルを包括的に解決する、そのために金正恩と条件を付けずに向き合うというのが政府の方針です。
今、この言葉が実現すると思っている人はどこにいるのでしょう。先ほどの「淡い期待」の続きで言えば、私自身北朝鮮の体制は早晩崩壊すると思い続けてきました。しかし国民の意思に寄らない体制は維持され続けます。このままで行けばいつまで経っても何も変わらないでしょう。そして皆死んでいく。
戦う覚悟こそが戦争を抑止できる、また捕らわれた被害者を救出できる。最終的に交渉で解決できるならもちろんそれにこしたことはありませんが、それも戦う意思があってこそのことです。憲法も何も関係ない。虚構による矛盾に身を任せていれば拉致被害者の救出はもちろん、今の私たちの安全すらやがて脅かされるのではないでしょうか。現実に向き合うことこそが今必要だと思う次第です。(おわり)
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