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2021-12-22 00:00
(連載2)IOCと中国を巡るスポーツと政治という問題
倉西 雅子
政治学者
しかしながら、近年、オリンピックは著しい変質を遂げております。中国女子テニス選手行方不明事件に際してのIOCのバッハ会長の対応に象徴されますように、商業主義に走ったIOCは、自らの利益のためには人権さえも蔑ろにしています。加えて、今夏の東京オリンピックは、IOCが’おもてなし’という名の負担やサービスを要求するばかりで、開催国やその国民を軽視している実態をも明らかにしました。
このため、巨額の国費や公費を費やしてまで開催すべき大会なのか、多くの人々が疑問を抱くに至っているのです。言い換えますと、オリンピックを私物化し、集金マシーンと化しているIOCのために、開催国を含む国家が財政負担を負うことには反対の声も少なくないのです。こうしたオリンピック・イメージの悪化のためか、札幌オリンピックの誘致につきましても、国民世論の反応はいたって冷ややかなようです。
各国政府がオリンピックが開催される度に開催国に政府代表団を派遣しているとしますと、むしろ、この慣例を廃止した方が、オリンピックを政治から切り離す一歩となるようにも思えます。今般の外交的ボイコットにつきましては、結局、選手団は派遣されますので、IOCにとりましては収益上のダメージとはなりませんし、また、この中途半端な空中戦は、どこか茶番のようで米中の間のガス抜きの可能性もありましょう。自由主義国が本気で中国に対して抗議の意思表示をするならば、モスクワオリンピックのように、選手団の派遣見送りに優るものはないからです。
何れにしましても、人権弾圧国家である中国を容認した形で北京オリンピックが開催されるとすれば、北京オリンピックは東京オリンピック以上に後味の悪い大会となりましょう。日本国政府は、外交的ボイコットは当然のこととしつつ(選手団派遣のボイコットも検討をしていいのではないかと思うくらいですが)、世界的に批判が殺到する現IOC体制の改革を提言すべきではないかと思うのです。(おわり)
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