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2021-12-21 00:00
(連載1)IOCと中国を巡るスポーツと政治という問題
倉西 雅子
政治学者
国際社会から人権弾圧国家として厳しい批判を受けている中国。その中国において、今冬、オリンピックの開催が予定されています。その幕開けを前にして、政治の世界では既に前哨戦が始まっているようです。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダといった’ファイブ・アイズ’諸国を中心に、同大会への外交的ボイコットの動きが広がっているからです。
アメリカ政府は、同盟国に同調を求めるものではないとしていますが、日本国政府は対応に苦慮しているようです。政界内には親中派も多く、おそらくこれらの人々はボイコット阻止に動いていることでしょう。このため、行く先は不透明なのですが、外交的ボイコットが実現すれば、日本国が人権尊重国家であることを内外に示す重要な機会ともなりますので、日本国民の多くは、政府の決断を望んでいるのではないでしょうか。かくして、外交的ボイコットは、度重なる中国による人権侵害に留まらず、共産党一党独裁体制に対する自由主義国の抗議手段となったのですが、ここに、もう一つの批判対象があるように思えます。それは、オリンピックという存在そのものです。
今般の外交的ボイコット問題は、オリンピックに際しての大会開催国への政府代表団の派遣という国際慣例、いわゆる五輪外交があることを広く知らしめることとなりました。オリンピックと申しますと、メダルを競う選手達が脚光を浴びることはありましても、各国政府が派遣した代表団に関心を払ってきた人は殆どいなかったのではないでしょうか。
しかしながら、外交的ボイコットに対して中国が強い不満を表明したように、国際行事と化してきたオリンピックでは、政府代表団の派遣や開催国におけるその接受は、国際儀礼の慣習となっていたようなのです。そうであるからこそ、代表団の派遣を見送るボイコットという行為は、政治的に利用し得る手段となるのでしょう。(つづく)
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