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2021-12-18 00:00
(連載2)新型コロナ時代の「新しい資本主義」の意味
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
もっともそれらの欧州諸国でも、相対的に死者数は抑えられているので、ワクチンの効果や社会的対応策の効果はあがってはいると考えるべきだ。ただ、感染者をゼロにすることができないし、緩めれば感染も広がる、という事情を変えられていないだけだ。われわれは今後もまだ新型コロナ対策が続く社会で生きていかなければならず、社会経済活動もその前提で進めていかなければならないのである。「新しい資本主義」は、「新型コロナ禍の社会」における最大限の経済活動の円滑な進展、という意味で、考えてみなければならないだろう。
本来の自由主義社会の資本主義経済では、不定期だが頻繁に飲食店が夜8時以降に営業することを禁止されたり、自粛することを求められたりするなどという状態は、想定していなかった。人の移動が数年にわたって大きく制限されるといった事態も、想定していなかった。各国政府が巨額の財政出動を通じた経済刺激策をとり続ける状態も、新型コロナ危機以前では考えれない水準で、全世界的に継続している。もちろんワクチンの普及と、日常的な対策の浸透を通じて、できる限りロックダウンや緊急事態宣言などの措置を避けようとする努力は、それなりの効果をあげている。感染拡大期になると繁茂してくる「いわゆる専門家」の人々の盲目的で過剰な対策の主張には、引き続き警戒をしていかなければならない。
だがだからこそ、平時からの対策が意味を持つ。期間限定で踏み込んだ対策を取らなければならない時期が訪れる可能性も、常に念頭に置いておかなければならない。まさに「新しい資本主義」の時代だ。過激な政策を強権的にとることができる権威主義国家のほうが、民主主義国家よりも新型コロナ対策において優れた成績をあげている、といった評論家めいた感想を吐露していればいい時期は、とっくに過ぎ去っている。自由主義社会の資本主義は、生き残りをかけて、「新しい資本主義」を追求しなければならないのだ。
岸田政権が、公明党からの要請を受ける形で実施する「ばらまき政策」の評判は芳しくない。ビジョンが感じられないからだろう。「新しい資本主義」には、付け焼刃的ではない、ビジョンが必要だ。やはり権威主義体制の挑戦を受け止めるものとしての「経済安全保障」とあわせて、岸田政権が厳しい現実をふまえ、長期的かつ体系的なビジョンをもって、「新しい資本主義」を進めていくことを願う。(おわり)
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